Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

Illusion Is Mine その2

カナリヤです。第2弾。前回はこちら。

mywaymylove00.hatenablog.com

創作同人サークル:8TR戦線行進曲、及び古今東西の音楽レビューブログ:「残響の足りない部屋」を運営されている残響さんにシューゲ沼に蹴落とされズッポンとハマってしまったので、記事にしました。

僕なりの返歌だと思っていただければ幸いです。

modernclothes24music.hatenablog.com

シューゲイザー。揺れに揺れるギターの轟音と嫋やかさ。フィードバック・ノイズの眼の醒める感覚と、さえずるような歌声。濃密な音の洪水からなる絶え間無い反響は穏やかな心地よさを覚えるものの、それは一瞬たりとも鳴り止むことのない、いわば音色によって構築された一種の檻なのだと思う。


My Bloody Valentine - Glider (Long Version)

偏に、これは沼だ。大袈裟ではなく。魅力に取り付かれた人間ならば容易に飲み込んでしまうほど深い深い底無しの。僕はそこに片足を踏み入れてしまったようなものだ。抜け出す手段を、抜けだそうという意思すら持たないままに。

今ではもう思い出せないけれど、数年前にMy Bloody Valentineの「Loveless」を初めて聴いたとき僕はなにを感じたのだろう。一度聴いた後そっと棚にしまい込んだあの頃の僕は。これはあくまでも想像でしかないのだが、シューゲイザー、特に耽美系というジャンルについて根本的に「歌」としての「強度」に欠けていると判断したのではないか。「強度」とはひどく曖昧な言葉だけれどメッセージを伝えるための明確な形態、とこの場では定義しておく。この耽美なシューゲイザーの織り成す幻想世界の揺らぎは実に柔らかく、儚げで、瑞々しい。実体のないそれは心の内を泳ぐように聴く人によって無限に姿形を変えて様々な彩りを見せてくれるのだろう。だからだろうか、その抽象画のような得体の知れない感覚は当時の僕には殊更頼りなく映ってしまったのかもしれない。揺れるギターの曖昧さは現実感のない弱々しさに。か細いボーカルと不可思議な歌詞は主張の無さに。密集するノイズは取るに足らない文字通りの雑音に。

遅ればせながら名盤と謳われるそれに衝撃を受けた僕は沸々と沸き上がる感情を我慢できず、普段さほど音楽を聴かない友人に無理矢理聴かせたのだ。不感症だったこの僕にMy Bloody Valentineをもう一度聴いてみようという思いに駆らせた「Sugar」を。果たしてそれを聴いた彼はしばらくの間黙りこくり、そして淡々と「BGMだね」と宣った。


My Bloody Valentine - Sugar (Remastered) [HQ]

論って彼の感性を揶揄するつもりは毛頭ない。これがいち個人の意見として尊重すべき金言なのは間違いないからだ。彼は彼の価値基準をもってして表面的には弱々しいこのサウンドを「これは歌ではない」という判断を下した。それは誰も犯すことのできない正しいものだ。かつての僕のように「強度」のないものであると感じたのかもしれない。棚にしまい込んでしまった当時の僕であれば、おそらくそれに同意したのだろう。けれど現在の僕は「BGM」だという発言を聞いて口には出さずとも、「でも」と反射的に思ってしまった。抗いがたい何かが内に生まれてしまったのだ。果たしてこれが本当にBGMと言えるのだろうか?まるで水の中を揺蕩うナイフのように、人知れず鋭利さを忍ばせるこれを付随の類だと?轟音に侵食されながらも、羊水のなかに居ることを容易く想起させてしまうこの「現象」を背景に過ぎないと?フィードバック・ノイズの歪みに蝕まれてしまった今の僕はむしろ写実的な音楽をこそ疑っている。そこにあるものをそのまま描くことに何の意味があると、極端な不信感すら抱きかねないほどに。

嗜好はその速度はどうあれ、刻一刻と変化していくものだ。年齢、心境、いついかなる時期に触れるのかによって受け取り方も変わってくる。しかしそれはアップデートと呼ばれる改善されていくようなニュアンスではなく、あくまでも自身が積み重ねてきた日常の延長線上にあるのだという意味を孕んでいてほしい。誰のものでもない今の自分だからこそ気づけた、理解が及んだ、だからこそ今こんなにも夢中になれるのだと。不純物をできるだけ排したいと、フィルターを介さずに音楽を求めたいとBandcampを漁っていた僕は知らず知らずボーカルに依存しない楽曲ばかりフォローしていた。気付けばコレクションにはそういった音楽達が並んでいる。これはシューゲイザーへの道標だったのだと今になって思う。埋没していた「Loveless」を改めて棚から取り出せた僕は今、あの頃捨ててしまったはずの感性を拾える場所までようやく辿り着けた。そのことをこの上なく嬉しく思う。