Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

僕らはART-SCHOOLを無視できない。

僕はART-SCHOOLが好きだ。いや好きという表現は適切ではないのかもしれない。執着している、という文言が最も相応しい気がする。

僕がART-SCHOOLを知ったのは割りと最近だ。どちらかというとKilling Boyの方を最初に知ったくらいだ。ZAZEN BOYSやNothing's Carved In Stone、TK from 凛として時雨のサポートで活躍していたひなっちこと日向秀和がむかーし組んでいたバンド。その程度の認識だった。「ニーナの為に」を聴いて心がザワっとしたのを覚えている。そこからは早かった。僕の嗜好の中心に据えられるようになるまではあっという間だった。


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今から2年くらい前の話かな。ほとんどART-SCHOOLしか音楽を聴いていなかった時期があった。その頃はなにもかも上手くいかなくて自分が何を楽しみに生きていたのかも分からないような状態だった。誰かのせいにしようにもこんな時だって不器用な僕は上手いこと押し付けることすらできやしなかった。ちょこちょこと他のを聴いてはいたけれど、やっぱりARTに戻っていった。誰に促されるわけでもなく。身体は正直なんだと思った。息苦しさから抜け出せず僕の心は自分でも気づかないうちに少しずつ傷ついていったんだと思う。

だからこそART-SCHOOLの、特に初期の痛々しさはありがたかった。外科的治療ってやつだ。ARTというナイフで新たな傷を拵えれば傷の治りが早いとでも思っていたのかな。最初期のカットアップで彩られた不明瞭な歌詞は僕の支離滅裂で言語化不可能な精神そのものだった。可愛いあの人に「笑って」と彼らが歌ってくれれば、彼女のように僕も笑えるものだと思った。機械みたいになりたいと思った。今朝僕も自分の叫び声で目覚めたんだ。もういいよ、と声をかけてほしかった。そしてさもその傷を愛おしむようにガーゼで包むのだ。Flora期の柔らかな曲調はそこにうってつけだった。誰かと手を繋ぎたかった。空に舞って手の届かないのであれば下に落ちて砕けてしまえばいい。僕は誰かのためには生きれないのだと気づいた。そして総じて春を待ち望みながらも徹底して冬の模様のみを描写するその切なさに身体が震えた。あの頃の僕には音楽はART-SCHOOLの顔をしていたように見えた。これは僕の歌だと思った。

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幸いと言えばいいのか、僕は辛さに耐えるだけの強さを持ち合わせていなかったようで、本格的にどこかを壊してしまう前にもはや生きづらい環境と化していた職場を半ば衝動的に辞めた。会社から一歩外に出て開放感からか深呼吸とともに息を吐き出して、そんなことすらもまともに出来なかったんだとその異常性を手放せたことに心底ホッとしていた。自分の弱さにはじめて感謝していた。

それからの僕はほとんどART-SCHOOLを聴いていなかった。ちらっとは聴いていたとは思う。多分、母が亡くなった時とかくらいかな。でもそれ以上食指が動くことはない。理由は、よく分からない。あんなにバカみたいに繰り返していた彼らを今更聴く理由がない、と思っていたのだろうか。辛苦とともに湧き上がるART-SCHOOLを今の僕は必要としていないのだと。あの冬の季節はとっくに去っただろうと。それもまた身体の機能として必要な処置だったのだと思う。そうして僕はART-SCHOOLに魅了された狂おしい夢のような時間をクローゼットの奥にひっそりとしまい込んだ。

 

3年ぶりに彼らが復活する。嬉しかったし、素直に喜んだ。でも今更かもしれないと訝しんだ。僕の音楽嗜好は当時より先鋭化していた。純粋にエッジさを求めていた。彼らの音楽を必要としていない自分が顔を覗かせていた。病気療養からの「病後の一作」に殊更贔屓目を向けてセンチな気分に浸ることもないじゃないか。理性と感情は同じ方向を向いてはくれなかった。


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聴いてふと思い出したのは、とある麻薬中毒者が依存症と闘った日々を描いた手記だった。すべてを失った男が、自分以外誰もいない一室でひとり読書をする姿。ベッドの端をわずかな灯りが照らすその場所で健全な孤独を味わっているのだと語る男には、どこか神々しさがあった。

決して万人に受け入れられる内容ではない。多分、これより素晴らしい楽曲は山ほどある。でもいつだってそうだったじゃないか。耳は閉じてくれない。目を逸らせない。手を伸ばしたくなるのだ。光に手を伸ばす彼らのように。僕は彼らに夢中だった。水のように、いや赤い血のように、彼らは僕の身体に収まる音楽で在ってくれたのだ。違うとすれば、こんなにも穏やかな光を放っていたのだろうかという一点だけ。

 

MVには二人の男女が煙草を燻らせながら、じゃれ合い、絡み合い、ついばむようなキスをしながら、時にいがみ合う姿。そしてそれをスクリーン越しに見つめる木下理樹の姿も同時に描写されている。笑うでもなく涙を流すでもなく、淡々と映像を見つめている。それはまさしく日常に他ならない。日々を憂い愛を求めて生きる僕らとその日常を時に激しく、時に包み込むように描き出してきたART-SCHOOLの変わらない営み。

今までも、そしてこれからも、誰かに依りそう音像を生み出す彼らは、僕らの心の大事な部分をしっかりと占めている。願わくば健全な孤独と共に側にいてほしい。

僕らはART-SCHOOLを無視できない。

 

 

 

※参考記事

modernclothes24music.hatenablog.com

sigh-xyz.hatenablog.com