Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

あなたを愛したい。

愚痴。

ここ数日THE NOVEMBERSだけを延々聴いている。ちょうど結成10周年を迎えた2015年にリリースされた5th EP「Elegance」とその翌年の6thアルバム「Hallelujah」が特にお気に入りで、そこから身動きがとれなくなっている。


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ノベンバというバンドの凄まじさ、魅力の根幹を味わっているように思えてならない。シューゲイザーの嫋やかさ、流れるようなシンセによる感情の揺らぎを前面に押し出した音は決して華美ではなく、ましてや無機質になるでもなく、絶えず多幸感を刺激するシンフォニックなハーモニーは優しく温かい。あくまでも寄り添うように優しく構築されたサウンドデザインと濃密に混じり合う歌詞によってより具体化された美しさには溜め息を漏らすほかない。それは当然の帰結と言っていいだろう。目新しさは微塵もない。彼らが素晴らしいことは時間をかけて思い知っている。

問題なのは、そこからだ。そこに悦びと呼ぶに相応しい感慨などなく、似つかわしくない惰性を彼らに覚えてしまうのは、果たして正しい感情と言えるのだろうか。

最近やる気が出ない。ふと生活態度はどうだろう、と考えた。食事は毎回三食摂っている。間食はそこまで。暴飲暴食もなく、アルコールもここ数年はめったに取らなくなった。多少夜更かしすることはあっても、最低でも6時間は眠るようにしている。昨今の寒波で瞬間的に凍えることはあってもそれが永続するわけでもない。必要以上に身体が冷えないように常に温かい飲み物を手元に置くようにしてはいる。元々の持病にやきもきすることはあれどそれは元々で今に始まったことではない。特段意識を高く持っているわけではないものの身体にそれらしい不調の兆しがないのであれば、ほぼ間違いなく、もう何度目かの心の余裕のなさが招いた事象であることはもはや明白だった。

端的に言えばここ数ヶ月で僕の取り巻く環境が変わったというだけの話なのだ。べつに珍しい話ではないし、特別なことでもなんでもない。その程度生きていれば誰にだって起こりうる。多少の変化、それだけのことでここ一年ほどの平和を保つことができず、日々の嗜好に少なくない影響を及ぼしている。これはそのことに自分自身がどうしようもなく狼狽しているという誰にとってもなんの益もない愚痴だ。

 

心に余裕がないサインは僕の場合非常に分かりやすいものとして示される。既知のものをただただ眺めることに多くの時間を割いてしまっている時がまさしくそれだ。何度も読み返した雑誌や書籍、幾度となく繰り返し遊んだゲーム、耳にタコができるほど聴いてきた音楽、子供の頃に観た映画やドラマ。新しい要素を味わおうなどという気概などなく、心のどこかに巣くっていた記憶を壊れた映写機のように漠然と垂れ流す行為は甚だ無為であることは百も承知で、それでも頭を使わずに行えるこの焼き増し行為の気楽さを享受せずにはいられない。

自分の中で既に評価が定まっているものはその時その時での時価によって多少増減することはあっても、過去にその評価を下したという事実が消え去るわけではないし、自分の価値観の過去と現在にそこまでの乖離がないのであれば、概ね微々たる問題として処理される。心が動かされることはない。

おそらく僕にとって、心が動かされるということは、コストに他ならないのではないか。他に何らかの燃料として還元されることなどなく、独立した一個として完結する。新しい感情が芽生えるたびにそれを自分の中で処理する時間を設け、居場所を作り、据える。その一連の流れを負荷なくシームレスに行うには心の余裕が不可欠だ。

僕の身に起きた環境の変化は、幸いなことに余暇時間を妨げるものとはならずにいる。何かを楽しむだけの時間は十二分に確保されているのだ。けれどそれを嗜好に昇華することができずにいる。所謂オンオフの切替というものが僕はとても下手だ。終わってしまったことをいつまでもクヨクヨと思考しては終わらない自問自答を繰り返しては貴重な精神を擦り減らしていく。その瞬間だけでも忘却することができれば、と思わずにはいられないがどんなに願っても僕の頭にはアメーバのように粘ついた感情がうごめいたまま。そんなどす黒いものに、あんなに美しいものを汚されていいはずがない。

未知とは本来はただそれだけで価値のあるものだ。日々の潤いとは、豊かさとは、未知を突き詰め重ねていくことで彩りを増していく。そしてそこには既知も必要な要素であるはずだ。立ち止まり、道端の草花の美しさに思いを馳せることは何よりも尊いものであるはずだ。しかし少なくとも未知と出会うことを負担に感じ、ひたすら既知を繰り返す現状を僕は快く感じてはいない。

停滞とは、麻薬のようなものだ。それが自身の望みだとでも言うようにぬるま湯の心地よさを求めずにはいられない。おそらくは数ヶ月で状況は落ち着いてくれるはずなのだ。それが良い方向なのか悪い方向なのかはまだ分からないが、この停滞を打破するために必要なのは時間だけ。苦々しい思いを胸に、こうして自慰行為のように駄文を垂れ流している。あろうことか、美しさの極致であるTHE NOVEMBERSを聴きながら、だ。

 

かつてART-SCHOOLというシェルターは現実の苦しみから僕を覆い隠してくれた。あの時間があったからこそ彼らは今でも僕の中で大事な存在として、心のどこかに在ってくれている。

THE NOVEMBERSという荒々しくも美しい膜は、僕にとってどうなっていくのだろう。何かが欠けたまま彼らの耽美な音に耳を傾けることは、時間さえも年老いてしまうくらいに気持ちがいい。気持ちがいい、ということは、それはきっと善いことであるはずだ。問題なのは、憂いなくそれを言い放つことが僕にできるのか、ということだけだ。


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