Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

Illusion Is Mine 2022.2

カナリヤです。日常報告シリーズ音楽編。前回はこちら。

mywaymylove00.hatenablog.com

今月はほぼ一枚のアルバムを聴いて過ごしたようなもの。いやもうこれほどまでの名盤を聴かされたとあっては、なかなか次にはいけんでしょうよ。

 

 

評論本

意味がなければスイングはない

意味がなければスイングはない (文春文庫)

小説家・村上春樹氏の音楽評論集。作家になる前はジャズ喫茶を経営していた氏によるこだわりの詰まったエッセイは、氏特有のリズム感がありつつも奇を衒わない親しみやすい文章に加えて、彼が小説家として大成した後も音楽とともに生活し音楽の受け手(レシピエント)で在り続けてきたことを裏付ける妥協のない味わい深さを備えた読み応えのある一冊に仕上がっている。

僕はジャズに関して全くの素人で聴いた回数も数えるくらい。氏による評論は基本的にジャズに偏っているため作中で扱う人物についても全くと言っていいほど知らないというのはなかなかハードルの高さを伺わせる。しかし各人それぞれのエピソードを取り上げつつ氏の読みやすい文章と鋭い私見によって浮かび上がる人物描写が、全く素養のない僕であっても非常に興味深く読めたのは単純に読み物として優れている証左なのだろう。

個人的に好きなのがシューベルト作曲「ピアノ・ソナタ第十七番ニ長調D850」の評論だ。村上春樹はこのピアノ・ソナタを「とりわけ長く、けっこう退屈で、形式的にもまとまりがなく、技術的な聴かせどころもほとんど見当たらない」と一見酷評しているものの、それでも好ましく感じる理由について、音楽評論家・吉田秀和氏の著作を引用しつつ以下のように言及している。

心の中からほとばしり出る「精神的な力」がそのまま音楽になったような曲ーーまさにその通りだ。(中略)そこには、そのような瑕疵を補ってあまりある、奥深い精神の率直なほとばしりがある。そのほとばしりが、作者にもうまく制御できないまま、パイプの漏水のようにあちこちで勝手に噴出し、ソナタというシステムの統合性を崩してしまっているわけだ。(中略)ニ長調ソナタはまさにそのような身も世もない崩れ方によって、世界の「裏を叩きまくる」ような、独自の普遍性を獲得しているような気がする。


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氏の抱いた音楽世界を安易に「わかる」と理解を示し寄り掛かってしまうのはあまりに雑で、いっそ無礼にも思える。ただ、彼のように音楽について「自分だけの引き出し」によって音楽に深みを持たせ、音楽世界を広げていけたら、それは果たしてどんなに素晴らしいだろう。そしてそれは僕がずっと求めていたもののはずだ。僕の、僕だけの体験によって、僕の音楽性に価値を持たせる。きっと人によっては冗長で、空虚で、耐え難いまでに寒々しいものかもしれないが、僕は氏が言うようにまるで"恋をするように"音楽を聴き続けていきたいと、改めて思うのだ。

 

 

アルバム

THE SPELLBOUND/THE SPELLBOUND


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THE NOVEMBERS」の小林祐介氏と「BOOM BOOM SATELLITES」の中野雅之氏によるオルタナティヴ・ロックバンド。その1stアルバム。

バンド結成の一報が流れた瞬間から、その期待値は相当のものだった。2019年「Angels」、2020年「At The Beginning」と短いスパンで意欲的な作品を次々に発表するなど着実に成長を遂げ存在感を増してきたロックバンド「THE NOVEMBERS」のフロントマンと、国内外から高い評価を受けるもボーカル川島道行の逝去に伴いバンド活動を休止していた「BOOM BOOM SATELLITES」の主要メンバーがロックバンドとして活動するなんて興奮しかなかったのだ。そして2021年1月からの怒涛の5ヶ月連続リリースのシングルの完成度の高さには思わず溜息が漏れた。

僕の知る小林祐介のボーカルはこれほどまでに美しく、そして少年性を帯びていただろうか。時にラップテイストを加えるなどバリエーションに富んでいて跳ねるようにその才覚を見せつけてくる。その圧倒的なボーカリストとしての才能は、限りなく純粋さだけを抽出したかのようだ。

そしてそのボーカルを最大限に活かすため一音一音にまで細かく配慮しアートとポップを見事に両立させた中野雅之。ブンサテ時代から徹底的に音の密度にこだわった氏だからこそ、これほどの壮大さと聴きやすさを身に纏ったのだと言える。ライブで明らかになったツインドラムという構成の妙。そのリズム隊がこのギリギリの芸術性と大衆性を支えているのだと思うと背筋がゾクゾクしてくるのだ。

林祐介の歌詞世界。徹底して日本語の優しさと美しさにこだわったそれは決して空想の中を思わせるような絵空事ではなくむしろ理想化を排するリアリズムに則っている。

この部屋で雨が降るたび

絵具は溶けて洗い流されて

傘をさした僕らは

離れずにいよう

濡れないように

どこに行こう

泡みたいに流されても消えないように

抱きしめて 太陽の中で

おやすみ

ーー「おやすみ」より

「はじまり」の曲からも見て取れるように、中野雅之が盤面に散りばめたいくつもの音のレイヤー、シンセを駆使した近未来を意識したサウンドも、タイトなドラムが僕らを結び付ける。まるで自身の鳴らす足音のように当然の帰結として現代へと接続させるのだ。


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リスナーの現実感を絶えず刺激していき、決して麻薬のように音楽に溺れさせるのではなく現実とのリンクを手放さず、ただただ地続きの日常の営みを多幸感とともに浴びせてくる。僕にとって現実とは辛く耐え難いものだったはずなのに、不思議と現実も悪くはないんじゃないかと、錯覚を起こしてしまうような。

ただ同時に一抹の不安にも駆られたのだ。これだけの先進的かつ生き生きとした曲達を先んじて公開してしまえば、近々出るアルバムへの期待感が薄らいでしまうのではないか。

残りの楽曲に関しても、僕は配信ライブを通してではあるがその全てを既に聴いたことがある。圧倒的な音楽体験。強烈であるが故にそこには未知の要素などない、既知の集合体に成り下がってしまうのではないかという恐怖が確かにあった。

結論を言ってしまえばそれは単なる杞憂に過ぎなかったのだ。未知という新鮮さを失い既知の集合体に成り下がるはずのそれらは、各曲がそれぞれ飛び抜けた完成度を持ちながらも決して逸脱することなく綺麗なひとつの箱に収まっていた。足並みを崩すことなく絶妙なバランス感覚を有した単純明快な"名盤"として存在していたのだ。

今ではそのための5ヶ月連続リリースだったのではないかと勘繰ってしまうほどだ。アルバム収録のおよそ半分をあっさりと発表したのは、11曲54分があっという間に過ぎ去る厳かでありながら流麗な軽やかさを持つ本作のエンタメ性こそが何よりも魅力であると確信していたからこそ。遂に完成したTHE SPELLBOUNDの音像はまるで透明な水のように滑らかに、そしてその名の通り、僕たちに魔法をかけてくれるのだ。

本当はこんな風に言葉を並べることすらもどかしいのだ。聴こう。一刻も早く。何度聴いても飽きることはないのではと思わずにはいられない。そこには音によって練られた楽園が、現代の最高峰の音楽体験が、今か今かと手ぐすねを引いて待っている。彼らの奏でる音のシャワーに貫かれよう。それこそ「はじまり」から「おやすみ」まで。どこまでも行こう。どこまでも。

 

 

今月はひたすらTHE SPELLBOUNDに引っ張られた月だった。ポップな感じに夢中になるの、もしかせんでも久々では。今もこれ書きながら聴きまくり。グヘヘヘヘヘ(悦)。素晴らしいが故になかなか他に行けてないのが玉に瑕。