Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

Innocent Grey「FLOWERS」をきっかけとして、自分自身に心底ガッカリした話。

カナリヤです。先日プレイしたゲームを通じてモヤモヤした思いを抱いてしまったのでここは一丁記事にすることで解消を試みんとす。取り上げるのはInnocent Greyから発売された「FLOWERS」という百合ゲー。そしてキャラメルBOXから発売された「処女はお姉さまに恋してる ~2人のエルダー」という女装モノです。

なお作品の致命的なネタバレは避けています。

 

それでは始めます。

 

 

「FLOWERS」への評価


FLOWERS オープニングムービー

エロゲ界で一際存在感を示すブランド「Innocent Grey」だけあって絵・音楽に関しては非常に洗練されておりその雰囲気は他では味わえないほど。特に絵に関しては同ブランドの代表作である「殻ノ少女」シリーズの持つ猟奇的な仄暗さとは真逆と言っていい印象で、背景など鮮やかな色彩が瑞々しくその中で杉菜水姫氏の描く見目麗しいキャラクター達が生き生きとする能動的な映像美はこのブランドらしからぬ非常に朗らかな気持ちを抱かせてくれ、新境地の魅力をこれでもかと感じさせてくれます。

少女達の掛け合いは派手さはなく淡々としているものの、それはこの作品の持つ静謐な雰囲気に非常にマッチしています。かといって味気のないものかと言われれば決してそうではありません。特に主人公・白羽蘇芳と悪友・八重垣えりかとの会話が両者とも書痴を自認するだけあって実在する作品の言い回しを用いた台詞の応酬はなかなか毒気があって面白いです。シニカルを気取るえりかがその偽悪さに徹しきれず時折見せる優しさが愛らしくいじらしいんですよ。

ただ内容的には多少不満があります。

ジャンルとしては全寮制のミッション系女学院を舞台とした日常ミステリであり、日々生活していくなかで巻き起こるちょっとした事件を主人公が探偵役を担いつつ解決していく展開なのですが、事件を推理するための描写自体にヒントが乏しいという問題点があります。というより前提に扱われている知識が専門的だったりニッチすぎてまともに推理できやしない、と言った方が正しいかもしれません。個人的に日常ミステリというジャンル自体さほど触れておらず正直「氷菓」くらいしかまともに知らないのですが、前提として"日常生活に潜む人間心理によって多く構成されるもの"という認識くらいはあります。であれば事件の全容解明に必要不可欠な専門的知識があるのなら予め作中で提示されてしかるべきです。それが為されていないため訳も分からないまま当てずっぽうで選択肢を選ぶ羽目になり、その後主人公の推理を披露されてはじめて事件の全容を把握する、という一連の流れはあまりに没入感に乏しく構成に失敗していると言わざるを得ません。

総評としては全体的な雰囲気づくりには成功しているものの、日常ミステリを楽しめなかった点で非常にもったいない作品だったと思います。ただこれはあくまで四部構成の一話目に当たる「春篇」のみの評価ですのでこれ以降の作品は改善されているかもしれません。

 

エロゲと百合と視点の問題

花菱立花に抱いたある種の居心地の悪さ

花菱立花という登場人物がいます。彼女は厳格で清廉潔白を信条とする人物です。もともとの融通の利かなさから他人と衝突することもありますが、面倒見の良さ故かクラスの委員長を任せられるほど周囲の信頼を勝ち取っています。そんな彼女は序盤から主人公・白羽蘇芳を気に入り彼女に対して親愛以上の情をもって接するようになります。

蘇芳自身に自覚はないものの周囲からは非常に見目麗しい容姿を持つ少女だと認識されており、中でもアミティエ(寮における同居人のこと)の一人である花菱立花はほぼ一目惚れに近い形で彼女に思いを募らせるようになり、彼女の一挙手一投足に注目しては「貴女と仲良くなりたい」と頬を赤らめながら急速に距離を詰めて来ます。

後に登場する双子の沙沙貴姉妹の距離感も馴れ馴れしいという意味では同種のものではあると思いますが、彼女たちが生来の気楽さやあどけなさに起因した、あくまでも友人に対しての態度を逸脱していないものであるのに対して、立花の場合は最初から友人以上の関係性を求めているように映り、蘇芳の押しの弱さや蘇芳が友人関係に憧れているからこそ戸惑いつつも彼女を拒まないことに甘んじているように感じてしまうのです。だからでしょうか立花の振る舞いは見ていて非常に居心地が悪く、かつ無性に痛々しく思ってしまうのは。

その後も立花は好意を抱く対象である蘇芳の気持ちが自身に向いていないことを自覚しつつも諦め切れず彼女の弱みを握ることで関係を深めようと迫ったり、自分が特別な存在であるとアピールしたいがために相手の了解を得ることなく一方的に周囲に「恋人宣言」し既成事実をつくろうとするなど、とにかく彼女の自分のことしか見えていない、周囲を顧みない我の強さにどうにも辟易してしまいました。彼女が委員長というクラスを束ねるリーダーシップを発揮させ随所で"優れた人間"であることを印象づけてくるために余計にその稚拙さ・幼さが目立ってしまうのです。

そしてそんな彼女の行き過ぎた行為を誰もが目にしているはずなのに誰一人異を唱える人間がいないという状況の不可思議さにも同様の居心地の悪さを覚えてしまいました。

 

おとボク」を楽しめる僕の視点の正体


処女はお姉さまに恋してる ~2人のエルダー~ OP

「処女はお姉様に恋してる」(通称:おとボク)の続編「処女はお姉さまに恋してる ~2人のエルダー」を再プレイしたのは、そんな「FLOWERS」に抱いたモヤモヤにどうにも納得できずにいたからです。同じく女学院を舞台とした物語であり、少なからず百合要素を扱うこの作品を楽しんだ過去を持つ僕は今現在プレイしてどういう感情を抱くのか、非常に気になったのです。

結果だけ先に言えば、僕は「おとボク2」をこれ以上なく楽しめました。「FLOWERS」の花菱立花のようなキャラクターも存在しましたしその人物の身勝手さには多少なりとも腹も立ちましたが、その居心地の悪さは決して「Flowers」ほどではありません。むしろ生じた違和感など事態の収拾とともに収まり、些末な問題として無意識化で頭の隅に追いやってしまっていたのです。

 

主人公である御門千早は男性不信が昂じて人間不信を引き起こすようになり登校拒否にまで陥りますが、それを見かねた母によって強制的に転校させられ女装した「妃宮千早」として女学院へと通うことになってしまいます。本人の意思とは裏腹に生来の美しさや嫋やかな振る舞いで千早は生徒たちの人気を獲得していきますが、男性である自分が女性として評価されていくことに対しては複雑な心境を抱き最後まで悩みの種となっていきます。

そんな千早は女装姿で周囲と接していくうちに無意識的に女性的な振る舞いをしてしまうようになった自己を顧みて自身のジェンダーアイデンティティが揺らいでしまうことに危機感を覚えたりはするものの、彼が終始「男性」として在り続けるのは一貫して「男性としての価値観」でもって自身の意思を表明し続けているからです。

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彼は作中「エルダー・シスター」として全校生徒から崇められる存在にまでなりますが、自身が本来は男性であるが故にその呼称や女の園独特の慣習そのものには最後まで戸惑い、疲弊していきます。

物珍しさを覚えたり、男の僕には分からない感覚だと思考を切り離したりすることを厭わない彼は、至極当たり前の話ですが、徹底して「男性」としての視点でもって舞台となる女性だけの空間を描写します。だからこそ同じ「男性」のユーザーである僕との乖離が発生しません。その余地がそもそも在りません。たとえ価値観が異なったとしても、「男性」であるという点が不変であれば問題なく感覚を共有できてしまうのです。

千早のパートナーとも言うべきもう一人の主人公・薫子も同様に元は普通の共学に通っていた経験から慣習に馴染めず自身が千早と同様にエルダー・シスターとして崇められることに違和感を覚えていることも関係していたと思います。仲間たちとの出会いに感謝することはあっても女学院という異質な空間への違和感を最後まで払拭できないままでいるからです。

そもそも「おとボク」という作品世界からして女装というトンデモをコメディタッチに機能させていくことからも、百合的世界観の要素を耽美に演出していくというよりはあくまでもニュアンスとして百合というものを扱うに留めている作品なのだと思います。まぁ"女装"という時点で入口や起点としては丁度良くとも、ジャンルとして正統派に属するものではないことは周知なのでしょうけども。

 

エロゲは基本的に主人公の視点でもって物語が展開します。その主人公の感性を通じて作品世界に足を踏み入れ共感し没頭する。主人公の思考と自分の感覚がズレることは多少なりともありますが、必ずしも主人公=ユーザーではありませんし、むしろそこで思考に差異が生まれることは新たな感覚の発見に繋がる可能性だって有り得ます。あくまで主人公の思考をしっかりと描写してくれている、或いは自分とは異なる選択に際し説得力を生んでくれる材料と成り得てくれていれば、主人公とユーザーのズレ=乖離というものは物語を楽しむ上での障害とは言えないものなのです。本来ならば。

 

自身の狭量なジェンダー観は物語を楽しむ上で足枷でしかない

百合というジャンルはなにも初めてではありません。積極的に楽しむほどではないものの嗜むことができる程度にはジャンルの魅力を理解しているつもりではありました。そして花菱立花のような独善的なキャラクターもこれがはじめての遭遇ということではなかったのです。それがこと女性という視点でもって物語を通してしまうと、途端に拭いきれない違和感を抱いてしまうことに今になって気づいたのです。

僕はエロゲが好きです。物語の表現方法が数多くあれど、誰かの視点でもって物語が展開していく、外からのものではなく常に誰かの視点から絶えず思考が流れ浮き彫りになっていき、時に生々しい感情を露出させていくことを厭わないエロゲ特有の感覚がいまだに僕を捉えて離しません。

だからこそ、僕は百合だけに留まらずたとえばBLといった特殊なジャンルを表面だけをなぞって理解した気になり誰かの視点でもってほんの少し内面を露出させられた程度で拒否反応を示してしまうくらいに、まるで解っていなかったという事実に愕然としてしまったのです。

女学院という舞台における機会的同性愛を自身の狭量なジェンダー観に基づいて容認できないことを自覚してしまった。なんて、そんなの小物もいいとこでしょう。

 

今回の一件で僕が僕自身に心底ガッカリしてしまったのはつくづく僕は「男性」という視点でしか物事を精査できない狭量な人間であることが露呈してしまったからです。常々「物語を楽しみたい」と口では言っておきながら、作品単体で面白さを享受する以前にジャンルという区別のみでそれを排除しようとしてしまっている。

視点の共有を試みることなくあくまでも部外者的感覚でもって接することに徹すれば、さしたる問題ではないのかもしれません。なぜならずっとそうしてきたからです。けれど認識の外にあった時分ならいざ知らず、僕はなぜ受容できないのかを既に知ってしまっています。他者の価値観を否定せず「あなたを尊重する」と口では言うものの、それが「理解することの放棄」であるように。それはきっと己の直視できない醜さと対峙することと同意なのかもしれません。

いずれまた挑戦することもあると思います。何かがきっかけでこれまで忌避していたものを楽しめるようになる、なんてそこまで珍しいものではないのだから。むしろ今、自身の狭量さを自覚できたことを喜ぶべきなのかもしれません。あとは好きになるだけでいい、というのはなんとも気楽に思えてくるものです。

早く嗜めるようになれれば、とそう強く願っています。