Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

愚痴愚痴。遅ればせながら、「罪ノ光ランデヴー」の雑感を書いてみる。


罪ノ光ランデヴー OP

カナリヤです。本日は昨年惜しまれつつも解散したminoriから2016年に発売されました「罪ノ光ランデヴー」の雑感記事です。minoriの作品は「ef - a fairy tale of the two.」以来。…何年振りなのだろうか。タイトル通り愚痴多めとなっております。

 

※本記事は「罪ノ光ランデヴー」のネタバレを含みます。ご了承くださいませ。

また本記事はあくまで「罪ノ光ランデヴー」の内容に言及したものであり担当ライター氏が後日発表した「風香ルートアフター」に関しては非公式を謳う以上別作品として扱い、本記事では言及しないこととします。アウイエ

 

円来ルートの違和感

村の発展のためにお金持ちと結婚させられそうになる円来のお話(なんか頭悪い書き方だな…)、とこう聞くと悲劇のヒロインめいた感覚を抱きますが話が進むに連れて円来自身の子どもっぽさが露になっていく、どうにも煮え切らないお話です。円来は失われてしまった孤児院の再建を条件に婚約を承諾するのですが、自分から選んだ割には父親への不信感を理由に婚約者と会うのを執拗に避けたりと主体性に欠ける行動に終始します。

最後は誰かの意思に依らず自分の意思を示すことでエンディングを迎えるわけですが、物語の根幹だと言える「罪に光を見出だす」ことにまるでかかってないなぁと思わず首を傾げてしまう、なんとも中途半端なお話でした。

 

主人公を苛むもの

そもそもなぜ円来は孤児院の再建にこだわっているのでしょうか。失った家族の象徴であった孤児院を取り戻すことが主人公の心の支えになると考えたためでしょうか。

家族を失った主人公は誰もいない広い家に独りで暮らしています。村長から紹介された仕事を手伝いながら学園の美術部で「少女」の絵を描いて過ごす、そんな静かな日々を送っています。そしてその絵とよく似た少女「あい」が主人公の目の前に現れます。あいと交流を深めていくなかで愛情を募らせ結ばれた主人公は、彼女の口から父の経営していた孤児院に火を付けたのは自分であると告げられます。家族を失うきっかけとなった事件を引き起こした理由として己の存在を主人公が忘れないように仕向けたかったからだという歪んだ愛情を示すあいを、主人公は受け入れられず恋人関係を解消します。それは発端となる「少女」そのものを受け入れることはいまだ自身を苛む孤独感・喪失感を埋めようとする代償行為に他ならないのではという危惧故にです。あいによく似た「少女」の絵をひたすら描いていたのは無意識下で己の孤独感・喪失感が彼女に起因することを知っていたからです。そしてあいと一度距離を置くことを選択した主人公は「少女」の絵を描けなくなってしまいます。

共通ルートの流れから読み取れる主人公の心境やその変化を自分なりにまとめますと、

  1. 主人公を苛む孤独感や喪失感は友人たちや村長の支えがあってもなお拭いきれるものではなく、「埋めるに足る存在」を欲している。
  2. 「あい」とよく似た「少女」の絵を描き続けるという描写から「埋めるに足る存在」とは現在や未来ではなく過去という視点からでしか得られないものであり、それを盲目的かつ無自覚に求めている。
  3. しかしあいの示した歪な愛を拒絶したことと「絵の少女」が描けなくなったことで、主人公のなかで「埋めるに足る存在」=「絵の少女」とは言い切れなくなる。

この「少女」を巡る主人公の感情の揺らぎが過去を払拭する、過去にこだわらず現在・未来という選択肢を検討する前向きな心情を引き出す結果に繋がったと捉えれば、円来が主人公のために孤児院の再建を願ったことはあながち間違いとも言い切れません。家族の象徴だった孤児院を再び手に入れ新たな家族との日々を築いていくという前向きな未来が主人公にとっての救いに繋がるのだと考えることはそう難しくはありません。ーー主人公が自身の意思をきちんと示してくれていたのなら。

 

「人形」のような主人公

プレイ中、ずっと感じていたこととしては舞台である「珠里村」が主人公にとってどういう存在なのかがまるで見えてこないということでした。すなわちこの村が家族を失い頼るもののない自分を見捨てないでくれた、大切な友人達と暮らす何物にも替えがたい居場所なのか。それともすべてを失った主人公が周囲の優しさに感謝しつつもその喪失を埋められず日々を流されるままに過ごすしかない空虚な空間なのか。もしくはその狭間で揺れ動いているのか。そういった主人公の意思というものが特に共通ルートにおいては欠けてしまっているのです。

基本的にこの主人公は受け身です。与えられた環境に身を委ね、自発的な行動を取ろうとはしない人物です。置かれた状況を思えば彼がそのような性格になってしまったのは理解できますし、十分同情に値します。だからこそ彼が今なにを求め、なにをしたいのかが物語の進む方向性を示す上で重要な指針になるはずなのです。であるのなら、主人公の心理描写が圧倒的に不足している本作において主人公が強烈に興味を指し示したものーー「あい」という少女への執着こそが主人公の本質なのだと判断するほかなく、主人公は「過去」にこそ救いを求めているのだと解釈するに至りました。

共通ルート終盤において主人公が拒絶したのは「あい」ではなくあくまでも「あいの歪んだ愛情」です。つまりそれは過去の拘泥を捨て去った描写なのではなく依然として主人公は過去に縛られている。したがって再建したいと円来が願う孤児院とは、主人公が失った家族の「象徴」には違いないが、それを取り戻すこと=前向きな未来を提示することが主人公の心の安寧をもたらすとは到底思えない、と僕は考えるのです。

 

流れを汲み取った風香ルート

共通ルートにおける主人公の心境や心の変化をもっとも色濃く反映できていたと思えるのが風香ルートです。

家族を捨てたという「罪」に苛まれ、その罪悪感を払拭するべく、また家族を失ったことで生じた孤独感を埋めたいという思いから主人公の元へ舞い戻った風香。罪悪感から姉であることを告げられず姉の友人だと名乗る彼女と親交を深めていく主人公は、互いを蝕む孤独感という共通項によって繋がれることに心地よさを感じ遂には実の姉弟であることを知らずに結ばれてしまいます。こうして近親相姦という「罪」を同時に抱えることになった二人はその言葉の持つ罪深さに、かけがえのなさに、不可逆性に、どうしようもなく溺れていくのです。 

過去を拭いきれない主人公は先述の通り「埋めるに足る存在」をこそ欲しています。そしてあいとの邂逅を経て「絵の少女」への信仰とも言うべき絶対性が崩れてしまった。となれば失われてしまった家族という存在がここでより大きくなってくるのは必然だと思われます。

罪の重さを理解しつつももう堕ちていくしかないのだという自棄の感情から目の前にある性愛の享楽に耽っていく風香。それを許されないことだと理解しつつも孤独感を埋めていく行為、喪失感がかき消えていく心地よさにのめり込んでいく主人公。Hシーンのドロドロとした淫靡さは二人の肉欲と理性のせめぎ合いをまざまざと見せつけてくるようで、その退廃的な情景は非常に興奮できました。

 

「逃避」で終わってしまった彼らの旅

終盤ある事がきっかけとなり主人公と風香が実の姉弟であることが周知の事実となってしまいます。長年村の一員として暮らし信頼を得ていた主人公はともかく、村から離れていた風香は村八分のような状態に陥ってしまいます。苦悩する主人公は村長から風香を切り捨てることを要求されるも、家族である風香を手放すことなどできず村を捨てて「家族」とともに暮らす未来を選択していきます。

これ、個人的に非常に納得できた展開なんですよね。展開的に風香と生きる道を選ぶのは当然とかそういう話ではなく、やはり主人公にとって「珠里村」という存在は家族以上ではないのだという価値観が僕の解釈ではあったので。

円来ルートで既に述べてはいるのですが、主人公は「珠里村」という存在が自分にとってどういう価値を持つのかを詳細には言及していません。一見平和であるもののそのなにも起こらない無味乾燥にも思える生活から居心地の悪さを覚えているのではないか。だからこそ「少女」という絵を描き続けることで足りない何かを埋めようとしていた。そう考えると主人公にとって「家族」と「村」は天秤に架けるほどのものでもなく、したがって本来であれば胸を切り裂かれるような思いを抱くはずの「珠里村からの決別」というシーンが全くといっていい程映えなかったのは本作における明確な失点だったと思います。 

また「逃避」という結論で終わってしまったことも個人的にはやや締まりが悪いと感じました。二人の未来を築いていくための選択であることは理解できますが、たとえその場から逃げたのだとしても「近親愛」という社会的には忌避されるべき選択をしたのだという責任は常に付き纏うもののはずです。

俺たちは、許されない罪を犯している。それでも、この罪と一生寄り添って生きていくんだ。
人目を忍んだ、罪(かぞく)の光(しあわせ)の逢瀬(ランデヴー)を・・・・・・。風車は、風が吹かないと回らない。ふたりが選んだのは、光の見えない、行き止まりのトンネルだった。でも、風は確かに、三人のそばを駆け抜けている。風香という名前に、引き寄せられるように。

そんな二人の逃避行は果たして「幸福」と呼べるものなのでしょうか。「幸福」になるための努力が「逃避」で終わってしまっているのはただただ空虚さを感じてしまいます。たとえ謗りを免れないのだとしても精一杯の抵抗を。そうして得られたものが痛みなのだとしても精一杯の足掻きを。もっと、もっと、「罪に光を見出だ」して欲しかったと、そう思います。

ちなみにこれらの問題点は担当ライター氏による「風香ルートアフター」にて解消されていますので興味の湧いた方は是非ご一読を。アウイエ

 

「風香」を台無しにしたあいルート

細かい部分ですが今回の記事タイトルは「感想」ではなくあえて「雑感」としています。それは僕が本作を最後までプレイできてはいないため情報としてはさほど価値のない「まとまりのない感想」だと捉えているためです。そのためプレイ時点でのミスリードをあえて「真相」だと扱っています。本来であれば最後までプレイした上であいルートについて語るべきだったのでしょうが、どうしてもあいルートは読み進めることができませんでした。理由は色々あるとは思うのですが、あえてひとつ挙げるとするなら、風香ルートでの根幹とも言える要素が都合よく扱われていたことに対してあまり経験のない薄気味悪さを感じてしまったからだと思います。

 

罪悪感を軽々しく扱うな

あいとの別れを経てもなお主人公は彼女のことを忘れられず思慕の念を抱き続けます。そんな主人公に対し風香は「あれだけのことをしでかした人間を想い続けるなんてどうかしている」と非難し、そして「彼女を許すことなんてできない」と嫌悪感にも似た感情を露にします。

風香があいのことを快く思わないのは彼女の立場を鑑みれば当然のことだとは思います。孤児院の焼失に巻き込まれ父は亡くなり、母と自身は追われるように村を出て行かざるをえなかった。そのきっかけを生み出したあいは風香にとって明確な「敵」であり忌々しい存在であることは間違いありません。ですが風香ルートにおける彼女を苛んでいたものを思えば、一方的にあいを糾弾することを是とできたのか甚だ疑問です。

栞「家族が困ってたら、助けないとダメなの」
栞「家族は、家族なんだから」

村を出て行った栞(=風香)を苛んだのはなによりも家族である弟(=主人公)を置き去りにしたことによる罪悪感です。心労を抱えた母はその後亡くなったものの、自身は親戚筋に引き取られ安穏とした生活を送れるようになったことは不幸中の幸いだったと言えるかもしれません。しかし結果的に家族を捨てたことで得られたともいえる生活は彼女の罪悪感を助長するものであったでしょうし、元より家族がいないという孤独感は簡単に埋められるものではなかったでしょう。

そのため彼女はこれまでの生活を捨て最愛の弟を側で見守るべく「珠里村」へと帰還します。ですが風香は主人公に自身が実の姉である「栞」だとは名乗りません。名乗れるわけがありません。家族を見捨てて幸福を得ようとした自分が今更どの面を下げて家族だと名乗れるのでしょう。あいを糾弾するということはつまり、自身が家族に対して行った非道を棚上げする行為に他なりません。あいという自身を上回る害悪をもたらした根本が現れたからといって彼女の罪悪感が浄化されるでしょうか。そうは思いません。一度犯してしまった罪はたとえそれが許されてしかるべきものだとしても一生自身に付いて回るものです。

しかしあいルートでは早々に自身が「栞」であることが露見します。いつ、どうやってかすらも定かではありません。家族との数年振りとなる感動の再会がたいした尺も用いられず、説明もされず2、3行の文章であっさりと描かれてしまうのです。あいルートはロックが掛かっていることからも「罪ノ光ランデヴー」という作品の肝、トゥルールートだと言えます。他ヒロインを攻略後ならば他ルートでは隠されていた要素がプレイヤーにとっては既知なのは当然であり、それが重大な事実だと殊更に扱う必然性がないのもまた当然かとは思います。

ですが、もう少しやりようがあったのではないでしょうか。風香ルートを経由したのであれば尚更軽々しく扱うことなどできはしません。単にあいを糾弾したかったのであれば姉であることは明かさずとも可能だったはずだからです。より近い立場で、恋に盲目となってる主人公とは違う立場・目線であいへの非難を描写したかったがために主人公と同等の被害を被ったとされる人物にそれを語らせた。所謂物語におけるバランスのために風香の罪悪感が軽視されてしまったのは本当に残念でなりません。あいを糾弾する彼女の胸の内を好意的に解釈しなければならない行為は僕にとって非常に苦々しいものでした。

 

まとめ

個々人で考えは違うかもしれませんが、本作は「シナリオゲー」に分類されると思います。共通ルートで主人公や周囲の抱える問題を提示し、各ルートで様々な解決策を模索する。トゥルールートにおける結論をこれまでの彼らの旅路が導き出したものなのだと実感するためにはなによりもその作品世界に対して愛着を持てるかどうかが非常に重要なものになってくると思います。

本作においてはその愛着というものを最後まで抱くことができなかったつくづく残念な作品でありました。作品全体のテーマとしては非常に惹かれるものがあったものの制作陣がそれを共通の認識として正しく把握できていたのかは大いに疑問です。ルート間の齟齬や世界観構築のために必要なものを見直すことができさえすれば作品として一皮剥けたのではないでしょうか。いや実に惜しい。