Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

遅ればせながら、ゆずソフト「サノバウィッチ」の感想を書いてみる。その5.魔法に対する考察 と 寧々の愛すべき滑稽さ

ようがす!(挨拶)

カナリヤです。ゆずソフトサノバウィッチ」の感想その5です。1~4に関しては下記から参照していただければ。

mywaymylove00.hatenablog.com

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今回はいよいよメインヒロインである綾地寧々ルートについて。前回までと同様主人公と紐づけて書いていこうかと思ったんですが、よくよく考えますとめぐるまでの3人。つまり成長・過信・能力の消失を描いている時点で主人公については語り尽くしたようなものではないか。それならば分かりやすくスポットライトの当たっている寧々に焦点を絞った方が得策では?と愚考。

よって今回はコンプしたからこそ前々からやってみたかった魔法についての考察と、作中で見せる寧々の愚かさについて触れていきたいと思います。

 

 

寧々はなぜ過去に戻ることになったのか

少し趣向を変えて魔法の欠点についての慣れない考察なんぞをしてみます。あくまで推測の域を出ないのでガバガバです。まずは考察を試みる前におさらい。あと自分用に備忘録的な意味も込めて。

1.魔女とアルプ、そして魔法

魔女

願いを叶えるためにアルプと契約した人間。魔法の行使には人間の強い感情=魔力を必要とするためアルプと契約した人間はそれを自ら集めなければならない。ちなみに便宜上「魔女」と呼称されているだけで性別は関係ない。

アルプ

動物が魔力を浴び続けたことで変化した存在。人化やテレパシーといった能力を持つ。魔女が集めた強い感情をアルプが魔力に変換することで魔法の行使が可能となるなお魔法を行使できるのはあくまで魔女でありアルプは使うことができず魔女にもなれない。

魔法

魔女が集めた人間の感情をアルプが魔力に変換し、魔女自らが発動する奇跡のこと。なお魔法は一度しか行使することができず、アルプと契約した時点でその内容を途中で変更することはできない。

2.アルプの目的

人間がアルプと契約して魔女となるのは願いを叶えるという目的のためです。ではアルプはなぜ人間と契約するのでしょうか。

先述の通りアルプは感情を魔力に変換することができますが魔法を行使することはできません。それはアルプとは元は本能のまま生きる動物であり人間のように叶えたい願いを持つ余地がないため。したがって自身にはない感情というものを持つ人間に憧れを抱いています。魔女に感情を回収させるのは魔法の発動に必要な魔力を確保するという他にアルプがその魔力を通じて人間たらしめている感情そのものを理解し最終的に自身が人間になるという目的も含んでいるのです。

3.作中で登場する魔女とその願い

①寧々:「両親の離婚をなかったことにしたい」

②紬:「買い逃してしまった服が欲しい」

③ちーちゃん:「めぐるの病気を治したい」

④主人公母:「人の心を読める能力がほしい」

※主人公:「大切な人に想いを伝えたい(めぐるルートのみ)」

4.魔女の人数制限

めぐるルートにおいて、紬と契約しているアカギが一時期めぐるの親友である「ちーちゃん」とも契約していたことが語られます。複数契約はイレギュラーであると七緒が語る通り、一人の魔女に対して一匹のアルプが担当するのが普通のようです。

契約する魔女が多ければ多いほど感情を回収する機会が増えるわけで、アルプの目的からすれば推奨されそうなものですが、七緒の説明によれば魔力の管理や魔法が発動するまでの管理がアルプの役割だそうな。複数人にわたってそれをこなすことを考えると複数契約はそれだけリスクを孕んでいると言えますね。

またアルプには元動物らしく縄張りという概念があり許可なく侵犯することはタブーとされており、他者のテリトリー内で魔女契約を交わすといった行為はまさしくこれに該当します。アルプがどこまでの範囲を縄張りとしているのかは定かではありませんが、一人一匹。複数契約の非推奨。縄張りの存在。これらの要素から魔女およびアルプの絶対数は限定されているだろうことが推察できます。

5.魔女になるための条件

叶えたい願いを持つこと。強い渇望を備えていることが条件とされますがそれ以外にはなにも明言はされていません。登場する魔女は確かに上記の条件を満たしてはいますが実質的に誰もが魔女になる素養を持ち合わせていると言えます。そして作中では叶えたい願いを持つ人間が多数登場するのです。

めぐる:「人気者になりたい」

越地:「瞳子先輩と付き合いたい(?)」

海道:「佳苗先生と付き合いたい」

秋田さん:「将来有望な彼氏をゲットしたい」

なぜ、彼らは魔女ではないのでしょうか。アルプの絶対数が少ないという理由はこの際置いておくとしても、難病を治したい。心を読みたいといった作中の魔女の願いに比べて彼らの願いはいささか安易といいますか、比較的誰しもが持ち得るようなもので、確かにこれが「強い渇望」と呼べるほど切実な願いなのかというと疑問の余地があります。

ただ「買い逃してしまった服が欲しい」という、実に他愛もなく聞こえてしまう願いを持つ紬が魔女になっていることを踏まえますと、「強い渇望」といった要素は魔女足り得る絶対条件にはならないのではないでしょうか。

というかめぐるルートで語られる「人気者になりたい」という願いを抱く背景を思えば紬のちっぽけな願いよりよっぽど切実なものだと思いますがどうでしょう?

また人間側が魔力を感知できない以上、契約に際してはアルプが主導権をもって行われます。4の項で提示したように魔女の人数が限られることから考えても、何らかの条件を元にアルプによる契約する人間の選別が行われていることが推察可能だと言えます。

6.魔法の制限

さてここからが本題。前置きなげー(呆)。

結論として、サノバウィッチの魔法は代償を支払うことでなんでも叶えてくれる万能なものなどではなく、人の気持ちや感情に作用することができないのではないかと考えます。

理由は以下の2点。

まず5の項で魔女の条件に当てはまる登場人物のうち契約に至らなかった人間は、その願いすべてが人の気持ちや感情への働きかけが必須であったこと。すなわちアルプは契約する前にその人間の願いが魔法が叶えられる願いであるかどうか――人間の心を操作する必要性の有無――を判断しており、これが魔女の選別における条件であると見られます。

次に寧々ルートで提示された彼女の抱いた願いとは、その実本人の預かり知らないところで修正を加えられたのではないかという疑念です。

寧々が魔法で叶えたい願いとは「両親の離婚をなかったことにしたい」です。しかしそれは「両親の離婚がまだ起こっていない過去に戻って人生をやり直したい」という意味なのだということが七緒の口から聞かされます。既に主人公と恋仲になっていた寧々は現在の主人公との関係性をもリセットされてしまうことに激しく動揺しますが、そもそも自身の願いが意味することを正しく理解していなかった描写も窺えることからアルプないし魔法それ自体が彼女の願いの意図を勝手に汲み取って解釈をしたのでは?と思うのです。

言葉の意味から考えますと、「なかったことにしたい」とは最初の失敗を勘定に含まずに済ますこと。要するに「最初からやり直す」ことなので作中でそう解釈されたのは間違ってはいません。最終的に寧々自身もその解釈を否定していないことからもそれは明らかです。が、「両親が再婚する」、つまるところ「両親を心変わりさせてよりを戻す」という解釈も十分可能なのではないかと考えると、少し話が変わってきます。

1の項目でも述べましたが、魔法はアルプと契約した後ではその内容の変更ができません。つまり契約前にその人間がいかなる願いを抱いているかを精査する必要性があるはずです。今回の寧々のように解釈の余地が発生する願いであれば、本人が望む方向性を共有しなければ契約不履行の可能性も生じてしまいかねないためです。

七緒に明かされるまで、寧々が自身の願いの意味を把握していなかったということはその解釈を確認する過程がなかった、というよりも確認する必要性がなかった。すなわち元より魔法では人の気持ちや感情に作用できないため、必然的に寧々の願いが意味するところは「過去に戻る」ことに限定されてしまったのではないでしょうか。

 

作中におけるサンプル数があまりに少なく推論に推論を重ねるガバガバ考察になってしまいましたが、そもそも魔法というあらゆる奇跡を起こせるほどの源となる気持ちや感情が、同じ気持ちや感情に働きかけすることができないのは自明の理と言えるかもしれません。

 

 

寧々の愛すべき滑稽さ

作品を通じて「かっこいいなぁ」と素直に感心したキャラクターが二人います。主人公の友人である海道くん主人公の母親です。

叶わなかった海道くんの願い

海道くんはぱっと見イケメンキャラでありながら三枚目な雰囲気を醸し出し、同じく友人の和奏とともに主人公をからかいつつ、時に叱咤激励するなど主人公の支えとなります。

そんな海道くんは寧々ルートにおいてスポットライトが当たることになります。主人公の能力によって担任である佳苗先生への恋心が発覚したことで、一念発起し、一転して先生と付き合うことを目標にオカ研に協力を依頼するのです。

単に告白するだけではなくあくまで付き合うこと、先生と一緒にこれからを歩んでいくことが望みだと主人公たちオカ研部員の前で臆面もなく語る彼の姿には、常にヘラヘラしていた彼のキャラクター性は感じられません。

しかし結局海道くんは佳苗先生と付き合うどころか、告白することすら出来ないまま諦めます。オカ研の調査やその時の先生とのやり取りを通じて、今の自分はまともに異性として、男として意識してもらうどころかそもそも眼中にすらないことに気づいてしまうからです。海道くんはそのことに憤り、歯痒く思い、そして悔しい気持ちを抱くのです。

だから諦めるのです、少なくとも現時点では

今のなにも持たない「子ども」の自分が社会的地位のある「大人」の彼女と釣り合わないのであれば、これから相応しい男になってやる。男としての魅力に乏しいのであればこれから最高にイイ男になってやる。佳苗ちゃん呼びで先生の気を引こうとする幼い自分から脱却して、あっちから意識させてやる。

海道くんは願いを叶えることはできなかったけれど、想いに対して自分なりに一区切りをつけて前を向きます。清々しい笑顔で主人公にそう語りかけるその様はとても魅力的に映りました。

「なかったこと」にしなかった主人公の母

主人公の母親は物語開始時点で既に故人であり、人物像に関しては父親といった近しい人間からの伝聞でしか知り得ません。

ただ耳が聞こえない障害に悩まされていた彼女は、人の世界で生きたいと考えそのために魔女契約をして、人の心を読む能力を望みました。

後天的に聴力を失った彼女がなぜ聴力の回復を、元の生活に戻ることを望まなかったのかは作中では語られていません。ですが「耳で苦労してた頃に人に親切にしてもらった」ことが彼女の転機になったのであれば、彼女は耳が聞こえていたままでは得られなかった経験を自身のこれからの人生において非常に意義のあるものだと感じたのだと思います。元の生活に戻ってしまったら、すなわち「なかったこと」にしてしまったら人の優しさも、それを嬉しく感じた自身をもすべてなかったことにしてしまう。そのことに抵抗を覚えたからではないでしょうか。

父親曰く、「まるで心が読めるみたいに」気配りのできる優しい女性だった彼女は、事故で亡くなる寸前まで困っている人を助けることに尽力していたそうです。

 

上記であげた二人に共通することは、彼らは一様に手に入れた経験や能力をこれからの人生への糧にするだろう、しただろうことが窺える点です。それが苦いものであれ、自身の選択と決断に後悔はあっても誇りであると胸を張れるような。その揺るがない前向きな気持ちをあくまでも未来に向けています。

 

寧々の肯定されるべき愚かさ

対して寧々はどうにも後ろ向きな印象を抱かせます。

幼い頃の寧々の世界は、同時期の子どもがそうであるように自分と両親だけがすべてでした。しかし両親は離婚してしまい、彼女の永遠に続くと思われるような心地好い時間はいともあっさりと瓦解してしまいます。そんな彼女の抱いた願いは両親の関係を前の状態に戻すこと。魔女としての契約を結んだ寧々はそのことだけを目的として生きてきました。

それが現在の関係性を投げ捨てる行為なのだと幼いながらも気づいていたのでしょうか、父親が再婚し新しい義母ができても良好な関係を築くこともなく、クラスメイトとも交流することもありません。それはいずれ彼女には必要のないものになり果ててしまうからです。

「発情」という代償を支払い続ける彼女の生活は作中では一貫してコメディリリーフとして描かれていますが、それは想像を絶するものであることは間違いありません。その彼女の努力は感嘆すべきものではありますが、それでもやはりどこか滑稽に映ってしまうのは常にそうと描写されていることはもちろんありますが、「やり直す」という実に都合の良い解決法に縋ることを前提にしているからではないでしょうか。

「幸せになりに行く」と言い残し、現実に背を向けて過去に逆走する彼女。そんな彼女は戻った過去で望む未来を掴もうと、両親が仲違いを起こさぬように積極的に行動しますが、実を結ぶことはなく結局両親は離婚してしまいます。

どうして離婚することになったのかという根本的な原因に目を向けることなく、あんなに幸せな時間がなくなってしまうなんて何かの間違いだと目を逸らし続け、もう一度やり直せばうまくいくんだという何の根拠もない自身の願望を押し付けるような行為は甚だ利己的なものだったと後悔の念を抱く始末。その当然のように帰結していく様は実に滑稽に映るのです。

 

でも、彼女の願いはそれほど間違ったものだったでしょうか。後悔と諦観を少しも抱かずに今を生きる人間がいるでしょうか。もし寧々のようにあの頃に戻ることができるのなら、生き汚く見えるものだとしてもきっと誰しもが楽しかったあの頃に戻りたいと、無邪気に願わずにはいられないのではないでしょうか。

大方の予想通り現在の幸せをかなぐり捨てて「幸せになりにい」った彼女は、結局はその幸せをこの手から零してしまいます。彼女のやることなすこと裏目に出たり、生来のポンコツぶりは彼女のアイデンティティとなってしまいます。

 

醜態を晒しながら幸せを追い求めて頑張って、そうして手に入れたはずの幸せは思っていたものとは程遠いものだったと気づいても、もう元には戻れなくて。

でもすべてをかなぐり捨てた手前諦めるわけにはいかなくて、なかったことにしてしまった自分が弱音を吐くわけにもいかなくて、泣いたってその涙を拭ってくれる人は側にはいなくて、だって自分から捨ててしまったから。

 

その姿はこれまで描いてきたコメディリリーフである彼女そのままです。醜態を笑っていたはずの僕はいつのまにか笑うことができなくなっていました。

彼女は実に現実的でした。現実的に愚かで、軽薄なのです。誰もが海道くんのように未熟であることを受け入れて未来の自分を信じられるほど強くは在れません。誰もが主人公の母のように失ったものがすぐ目の前にあるというのに自分を律することなどできません。こんなのは理想でしかないのです。でも彼、彼らの選択が心地好く映ってしまうのはそれが理想でありながらもどこか現実に即しているからです。

だからそう在れなかった、在ってくれなかった寧々が余計に映えてしまうのです。でも自分のことを当然のように覚えていない主人公に「ウソツキ」と小さく口にする彼女の憂いさに、「幸せになんてなれるわけないじゃないですか!」と感情を爆発させる彼女の慟哭に、こんなにも胸を締め付けられるのは彼女が人間らしく在ってくれるからに違いありません。

 

エンディングで主人公から花束を手渡された彼女は思わず泣いてしまいます。一枚絵で示されたそれはとても整った姿ですが、きっと涙と鼻水でグチャグチャになっているはず。不器用に生きるしかなかった彼女の泣き方は絶対に無様でとても人に見せられるようなものじゃない。僕はそれを見てやっぱり滑稽だな、とまた笑うのです。

 

終わりに

個人的に寧々ってヒロインとしては一番惹かれなかったキャラクターでした。前回プレイしたときも「RESTART」を蛇足のように感じてしまっていて、これまでの楽しかったという気持ちとか消化不良な気持ちが綯交ぜになって、どうにもならないもどかしさというのがあったんですよね。

今回「サノバウィッチ」を再プレイして当時の自分が抱いた曖昧な感銘や屈託を今の自分が昇華させて、言葉として綴ることができてなんかホッとしてます。いやー面白い作品でしたホント。そう言いたかっただけかもしれませんね。

それでは。

がってん!(挨拶)