Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

遅ればせながら、ゆずソフト「サノバウィッチ」の感想を書いてみる。その4.可愛いめぐる と 能力の消失

ようがす!(挨拶)

カナリヤです。ゆずソフトサノバウィッチ」の感想その4です。ようやく終わりが見えてきました(疲)。1~3に関しては下記から参照していただければ。

mywaymylove00.hatenablog.com

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今回は「こいびとどうしですることぜんぶ」犬属性後輩の因幡めぐるルートについて。既プレイ前提ですので未プレイの方はご注意ください。ちなみに僕は懐いてくる後輩キャラも大好物です。

それでは始めていきます。

 

 

 

めぐるが可愛い

「デリカシーなし」と「仔犬」

めぐるは作中コミュニケーション能力に優れていると見做されています。誰に対しても物怖じせずに絡んでいくのはもちろんのこと、紬になんとかオシャレを楽しんでもらおうと苦心する姿からもそうした素養を窺わせます。そうした他者に対してきちんと気を遣うことができる彼女だからこそ主人公・保科柊史という生粋のデリカシーなしに対してあれだけ真っ向から立ち向かうことができたのだと思います。

 

主人公は幼いときから人の感情を五感で感じ取ることができます。その半ば強制的に流れてくる感覚を基に周囲とコミュニケーションを取っていったわけですが、それは他人にはひた隠しにしておきたい感情すら読み取ってしまいそれを自然に周囲へ露呈させることもしばしば。彼にとっては公然の事実でも本人以外は知り得ないことを周囲に明かせば当然軋轢を生みます。結果、彼は孤立してしまいその経験から成長した後も他人に踏み込むことに躊躇するようになります。

彼が作中でデリカシーなしと言われてしまう*1のは先述のような感情の先回りであったり、人間関係の構築が不十分のままここまできてしまったがゆえに時に配慮のない言動をしてしまうからです。

そんな彼のデリカシーのない言動に対してめぐるは一切遠慮がありません。時に冷たい目を向け罵声を浴びせ先輩だろうと関係なく邪険に扱いますが主人公はめぐるから不快な感情を一切感じません。それはめぐるが主人公の言動に一切の悪意がないことを知っているからです。

めぐるが仔犬のようにベタベタと懐いている相手に「迷惑ですか?」とたびたび確認するのは対人関係における臆病さはあるにせよ、そもそも相手のことを好ましく思っている、もしくは自分が相手から好かれていることが前提になっているからではないでしょうか。この人は自分を邪険にしたりしない。受け入れてくれてるんだと半ば確信しているからこそ安心して窺うことができるのです。

めぐるが主人公を罵るのは上記と同じく主人公に甘えているからです。めぐるを人気者にするためになぜかビッチになる方法を学ばせようとしたり、かと思えばひとりで昼休みを過ごすめぐるに居場所をつくろうとしてくれたり。主人公の見せるチグハグで不器用な優しさを知っているからこそ、こんなことくらいでは優しいこの人は自分のことを嫌わないと確信し安心して生意気な口を叩く。気を許しているからこそ、このデリカシーのない先輩に遠慮なく様々な感情をぶつけられるのです。

 

主人公にしても出会って間もない頃からめぐるに対して遠慮がありません。それは彼女の見た目の取っ付き易さや反応の良さに友人である海道くんや和奏のような気安さを覚えたからですが、次第に彼女とのやりとりが自身にとって理想的であることに気づいていきます。

主人公は流れてくる感情を参考にしてなるべく周囲を刺激しないように心掛けています。常に人の顔色を窺い自身の感情を殺していくその生き方は心の摩耗を引き起こしていきます。しかしめぐるは常に感情が顔に出るほどの素直さで主人公に接してきます。それはあまりに裏表のないもので能力を必要としないこともあるほどの明け透けさ。表面化する態度と本来見えないはずの感情に差がないかどうかは主人公のコミュニケーションにおいて重要な要素です。なぜならそれがそのまま対象への信用に直結していくからです。めぐるのなんのてらいもない素直な感情の発露というのはそれが瞬間的に生じたものであれば多少の反感を孕んでいることもあるでしょう。感情を勝手に読み取ってしまう主人公はその感情の根底に自身への好意があることをダイレクトに受け止められるからこそ、その表面的な害意に引っ張られることがありません。

能力に頼らずとも行えるコミュニケーション。この気楽さは長らく主人公が待ち望んでいたものであり、だからこそめぐるらしい、めぐるに期待する反応を引き出そうと調子に乗って彼女をからかいすぎるくらいからかいます。そしてめぐるは顔を真っ赤にしながら悪態をつき、それでも主人公への親愛が崩れることがないのです。

 

主人公もめぐるも互いの気質を理解したうえでの遠慮のない言い合い。そして徐々にエスカレートしていきギャーギャーと周囲が呆れ果てるくらい騒ぎ立てていく。そんな両者の関係性が絶妙に合わさったからこそ巻き起こるシーンの数々。その微笑ましくいつまでも見ていたくなる光景はいっそ額縁に飾っておきたいほど。

 

「美味しさ」

めぐるは先のふたりのように魔女でも元アルプでもない、すなわち魔法への関与が薄いためお話的にも魔法という要素が必要以上に絡んでくることがありません。そのためふたりの関係性に自然とフォーカスされることが多くなりその丁寧さはヒロインの中でも特筆すべきものになっています。

 

主人公はめぐるから「ちーちゃん」の話を打ち明けられます。

唯一の親友だったこと。

そんな親友がある日突然いなくなってしまったこと。

こうなったのは自分が「ちーちゃん」に甘えていたせいだと、己を苛んだこと。

だからこそこのままではいけない。「ちーちゃん」にはもう会えなくとも二度とこんなことにならないように、自分が変わらないといけないんだと。

彼女がイメチェンした本当の理由。そしてめぐるの積極的なくせに臆病な気質を持つに至った背景を知ったことで彼女のトラウマの根深さや変わりたいという強い気持ちに主人公は強い共感を覚えます。そして自身もめぐるに対して「周囲と距離をとっていた自分を変えてちゃんと笑える生活がしたい」という気持ちを打ち明けます。

背景や目的に近似性を見出し、互いが互いを「似たもの同士」と認識して以降、主人公はめぐるから流れてくる感情に変化があることに気づきます。その感情を「美味しい」と感じるようになるのです。

主人公が日々受け取る感情は彼にとって客観的な事実、情報の羅列でしかありません。ネガティブな感情に関しては自分を苛むという側面を孕んではいますが本質的にはそれ以上でもそれ以下でもなく、あくまでも機械的にそう受け止めざるを得ません。その感情が自身に向けられる場合でも同様であり、そこに主人公の主観が入り込むことはありません。見えている感情が明確であればあるほどそこに自分がどう思うかという認識など些末なものに映るからでしょう。

ですが「変わりたい」と強く思う姿に互いに自分を重ね思いを共有しためぐるの感情だけは主人公にとって他の雑多なものと同じように単なる情報とは処理できません。

彼女が寧々には話せなかった事情を自身にだけ話してくれたこと。

名字ではなく名前で呼んでほしいと言ったこと。

そして呼んだときの満面の笑みと口いっぱいに広がる甘酸っぱさ。

「甘酸っぱさ」とは先述のようにあくまで彼女が向けた感情を客観的に受け止めたに過ぎません。その本来であれば無機質な感情に「美味しい」という個人的嗜好を覚えることができたのは、めぐるに対して特別な存在という認識が生まれたからです。

吟味し、咀嚼し、嚥下する。

自分にとって害であるだと判断していた苦みや辛みといったものですら旨みやコクといった「美味しさ」に変換していくこの過程――主人公の特異な性質を存分に活かしたこの生々しい恋愛感情の芽生えの表現は再プレイを経てもなおいまだに心をくすぐられますね。

 

 

主人公の能力の消失

「結婚」という言葉の軽さ

物語の終着点がハッピーエンドなのだということを印象付けるために主人公とヒロインの数年先の未来を描こうとするのはエロゲでなくともよく用いられる手法だと思います。

しかし初回プレイ時の瞳子先輩、紬ルートにおいて、主人公がヒロインに対して「結婚」を言い出してしまうのはどうにも唐突感が過ぎているのではないかと違和感を覚えました。ふたりの幸せという結果をプレイヤーに見せ付けるのであれば一足飛びでも家庭を築いている未来の様子を描けばいいのに、なぜ将来への担保が保障されていない時点での主人公達に「結婚」という言葉を使わせるのか。例えば同じエロゲである「パルフェ」での某ヒロインのルートにおいては結婚や家族という明確な形を必要としたからこそいささか早急とも思える展開にドラマチックさという納得感を得られましたが、妥当性がないのであればそれは唐突であり過剰であり没入感の阻害を招いてしまうように思います。

しかしめぐるルートにおいて描かれた主人公の願いの顕在化という要素は、「結婚」がそれを端的に示した言葉なのだと改めて実感できました。

 

なぜめぐるルートで主人公の心の穴が埋まるのか

七緒曰く、心に穴が空いてしまうほど精神のバランスが崩れている場合の対処は、通常であればその空いてしまった原因を取り除くということが一般的だそうです。主人公の場合、母から受け継いだこの魔法という望まぬ能力を持て余し振り回されていることが原因となっています。しかしこの魔法はもともとが主人公に備わっていた能力であり取り除くことは現実的ではありません。また魔女*2になって能力を消失させるという手段も、そもそも魔法は一度しか使用できないという制限から、能力を行使している主人公はそれ自体が既にカウントされているため新たに契約することができません*3。故に折り合いをつける、すなわちこの慢性疾患とも言える能力を忌避するのではなく受け入れて前向きになることで対処するのが妥当ではないかという七緒の見解が作中では提示されています。

こう言っては元も子もありませんが、折り合いとは非常に消極的なものです。完治することが1番なのでしょうが現実的には難しく妥協点を見つけることでしか対処できません。

瞳子先輩や紬ルートでは能力に対してある程度肯定している描写が見受けられます。つまり能力に対して多少なりとも受け入れ、前向きに捉えているということ。実際に主人公に吸収されていたはずの心の欠片が寧々の元に戻ってきているという描写が各ルートの終盤で挿入されていることから対処法が一定の効果を生んでいる客観的事実が示されています。しかし主人公にとって大事な人ができても、抽象的でもこうありたいという理想を描けるようになっても肝心な「心の穴が塞ぎきったか」どうかに関して正確には言及されてはいないのです。これではこれからもきっと良くなっていくだろう、という希望を抱かせつつもその実これからについてあえて明言を避けているかのように感じてしまいます。

めぐるルートでは彼女の性格――人間関係に積極的でありながらも臆病な部分を持つ不安定さ――を構築するに至った、親友「ちーちゃん」の存在について言及されていますが、このことに関してはルート中盤であっさりと解決されてしまいます。解決というよりそもそも「ちーちゃん」の存在はふたりの障害には決してなることはありません。めぐるという一個の人間としての価値観、行動原理。彼女のこれまでとこれからを形成する上でのバックグラウンドという役割を果たしていることがなにより重要であり、詰まるところ物語上では主人公とめぐるが互いに互いを特別な存在と認識するに足る整合性を主張する材料に過ぎないのです。

めぐると想いを伝え合い、順調に交際を続けていく主人公ですが、一向に心の穴が埋まりきりません。次第に最愛の存在であるめぐるが自分では主人公を支えられないのではないかと思い悩み、ふたりのすれ違いにも繋がっていきます。先述しましたが、「ちーちゃん」を障害として扱わずイチャラブ要素を懇切丁寧に、いやいっそ執拗とも思えるほどに描いていくことでユーザーに対して改めて「この能力ってなんなんだ?」という物語のそもそもの出発点に立ち返らせています。すなわち本来であれば乗り越えるべき障害もない二人にこそこれまでは描かれなかった要素に対しての追求を可能としている点は本当に見事だと思うんです。

 

伝わりきらないから伝えたい。わからないからわかりたい。

今更ではありますがそもそもの話。誤解を恐れずに言わせてもらえれば、めぐるルートではおおよそ劇的と呼べるようなことはなにひとつ起こりません。男と女が異性の友人から恋人になっていくその過程をひたすらに描いていくだけのシンプルなもの。ですがその分両者の関係性への言及や心理といった側面に触れている点が特徴的で、描写の現実感や生々しさは他ルートにはない要素であり、良いコントラストを生み出しているように思うのです。

 

例えば共通ルートでのオカ研部室にて、女子同士の「悩み相談」というものはあくまで駆け引きなのだと主人公に諭すシーン。女子とはそういうものなのだと語るめぐるは「自分は他の女子とは違う」とでも言いたげに得意顔を浮かべています。そんな女子の嫌な部分を熟知しているはずのめぐるが個別ルート中盤で主人公を想うあまり思わず寧々を牽制するというのはなかなか新鮮な展開でした。

あくまで個人的にそう思うだけなのですが、いわゆるエロゲという分野において女子のドロドロとした部分というのはあまり描写されない傾向にあると思うんです。女性にとっては見慣れたものであっても大抵の男性にとってはなかなか理解しがたく受け入れがたいものだと思いますしわざわざそれをエロゲで、しかも純愛というジャンルで殊更取り扱う必要があるとは思えないからです。だってあまりに生々しいじゃないか、と素直に思ってしまう自分がいるんです。にもかかわらずこのめぐるの反応はそこまで具体的な手段に発展していくものではないにしても、女子女子した部分に繋がる要素に触れるというのは詰まるところ男女交際における細かな部分に言及していこうというコンセプトを感じます。

また後輩好きプレイヤーがこぞって身悶えしたあのデートシーンにしてもそうです。めぐるの主人公への期待した眼差しに「なにかを気にしている」ことは察せても「なにをしたいか」はさっぱり察せない主人公は終始突拍子のない言動でめぐるを困らせ、それにめぐるは照れたり怒ったりの百面相で見事に応えていくというニヤニヤの止まらないやりとりが全編に渡って展開されていきます。そうして最後の最後で辿り着く「手を繋ぐ」というただそれだけの行為。主人公とめぐるの醸し出す柔らかい雰囲気は紆余曲折を経ての安堵感から生じるものです。

こういった恋愛における喜び、楽しさ、そして不安というものを余すところなく描いていった、その集大成として用意されたのが終盤における「主人公の能力の正体」です。

 

主人公の能力は魔法です。何かを叶えることを目的とした存在です。視力を失った主人公の母親は社会で生きていきたいと願い、心を読む魔法を欲しました。しかしもともと魔法が備わっていた主人公には叶えたい願いそのものがありません。母親の魔法の一部を受け継いだとはいえ願いまでもそうなるわけではありません。だから主人公には主人公の叶えたい思いが必ずあるはずなのです。主人公の能力はいわゆる「エンパス」と呼ばれるものです。無差別に周囲の感情を受け取り、共感してしまう。それはつまり何かを叶えるために存在する魔法もまた叶えたい思いを模索するために無指向性にならざるを得なかったということです。

めぐるの感情に「美味しさ」を覚えてから主人公は能力に因る嫌な思いをすることが少なくなっていることに気づきます。というよりも他から感情が流れてこなくなっていたのです。すなわち指向性・選択性をようやく会得するに至るのです。

この感情をもっと感じたい。感じていたい。めぐるの感情を受け取りたい。ふたりで育んだ気持ちと時間、その愛の深さをめぐるに伝えたい。

 

 

仔月さんの仰るとおり、どれだけ愛し合っても交わっても本当の意味で決してひとつにはなれません。だから求める。求め続ける。それでもあの素晴らしき日々は、続いていくと疑わなかった、彼らに用意された永遠は、短いものなってしまうかもしれない。主人公がこのあやふやな魔法に望んだのは、そんないつまでも付随してくる不安や焦燥感を吹き飛ばす、ふたりがこれまで育んできた気持ちと時間を形にするという絶対的な永遠性です。

思えば主人公もめぐるも、いつだって理由を求めていたように思います。どうすれば自分を愛してもらえるのか。どうすれば相手を愛したことになるのか。踏み出せなかった者同士馴れ合うのではなく、躓くたびに「それでも」と顔を上げて相手のことを想い合っていました。そんなふたりだからこそ揺るぎない愛情の証明が必要だったのです。だから瞳子先輩、紬の両名にはついぞなかった主人公の魔法の消失という場面が描かれます。この面倒くさくも一歩一歩丁寧にふたりの歩みを描いてくれためぐるルートだからこそ、この結末は相応しいものなのだと思います。

めぐる=巡る。回る。廻る

ヒロインの名前の通り「好き」という感情が主人公とめぐるの間で循環していく様を見せつけてくるこのルートが、僕は本当に大好きなんです。

 

終わりに

めぐる、超可愛いーーーーーーーーーー!!!!!!!!(本編で入れられなかった分の心の叫び)

なんかもうめぐるルートに関しては言いたいことが多すぎてめちゃくちゃ雑多な感じになってしまいました。「好き」をちゃんと表現するのって難しいなって改めて。でもこのルートの感想を書きたいなぁという思いは人一倍強かったのでひとまず書き終えることができてホット一息。あとで書き直すかもしれませんが…。

P.S.お気に入りボイス欄がめぐるのでいっぱいになりがち。あとは「えろえろー」と桐谷華ボイスを少々。これ多分プレイ済みの人ならあるあるだと思いますけどどうでしょう。

 

さて次回は、足りないなにかを探し求める、綾地寧々ルートです。

いよいよ最終回となります。果たしていつ書き終えられることやら…。

がってん!(挨拶)

*1:主にめぐるから

*2:性別は関係なく願いを叶えるべく心の欠片を集めて魔法の行使を望む人間のこと

*3:紬ルートにおけるアカギとの契約は「紬の契約の肩代わり」というあくまでもイレギュラーであると認識されている模様