Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

冬の昼間と共に在りたい。ART-SCHOOL ACOUSTIC TOUR「NOSTALGIE」の感想を書いてみる。

カナリヤです。本日は2023年12月17日にSENDAI KOFFEE CO.にて開催されたART-SCHOOL ACOUSTIC TOUR「NOSTALGIE」の感想記事です。1か月半ぶりの彼ら。やっぱり地元でやってくれるの、素直に嬉しい。お財布にも優しい。

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今年10月に催されたライブは轟音に次ぐ轟音の、新生ART-SCHOOLをこれでもかと見せつけてきたわけだが、今回は打って変わって木下理樹と戸高氏のみによるアコースティックライブ。


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この動画を聴いたときから、いつかアコースティックver.を聴ける日が来るのだろうか、と夢描いていたものだが、今回ついに実現。やったぜ。

それでは始めます。

 

駅から出た瞬間に僕は己の過失を嘆いていた。この日は朝から冷え込んでいて予報でも夕方には雪が降ることはわ分かっていたはずなのに、うっかり傘を忘れてしまったのだ。しかも電車代をケチって最寄り駅から数駅離れたところで降りたものだから、案の定雪のぱらついてきた中でしかもこの時期限定の野外イベントとかち合うことも失念していたため、余裕をもって出かけたはずなのに会場に着いた頃には入場5分前となかなかにギリギリの時間だった。

これが普通のライブであれば雪にまみれた身なりを整えたり荷物を預けるなりと慌てふためくところだが、幸いにもこの日は着席制のアコースティックライブ。早足ですっかり火照ってしまった身体を冷ます余裕があったのはこの形式だからこそ。チケットは後ろの方の番号だったが、僕はいつも後方の位置を選ぶのであまり関係ない。荷物を置ける棚が近くにあるだけで大当たりだった。

 

開始時間の19時を少し回ったところで、音もなくART-SCHOOLの両名が登場。いつもはAphex TwinのGirl / Boy Songが流れるはずなので、その時点で今日は特別なライブなのだと思った。

この日のセトリはやはりいつものライブではお目にかかれないようなものばかりだった。1st「REQUIEM FOR INNOCENCE」と2nd「LOVE / HATE」のLP発売を記念してのツアーなだけあって2枚のアルバムから一部の楽曲を演奏したほか、本人たちも「10年ぶりくらいにやる」と語るほどレアな曲がふんだんに盛り込まれ、かつほぼ全編がアコースティック用にアレンジが施された曲達は新鮮そのもの。M-2「1965」はミュートギターのまったくない構成だったり、逆にM-5「影待ち」は特徴的なリバーブこそないもののミュートギター全開。M-5「アパシーズ・ラスト・ナイト」は構成そのものが原曲とまるで異なっていたりと、飽きるくらい聴いてきた曲の違った側面が次々と披露されるのはファンとしてたまらない時間だった。2本のギターからなるM-14「SWAN DIVE」こそ木下理樹パートがやや躓いていたのが残念だったものの、戸高氏の弾く主旋律の美しさには改めて目を見張った。

そして何と言っても木下理樹の歌声も非常に伸びやかさがあったように思う。全体的に原曲よりもキーを下げられていて負担が軽減されたためかファルセットも切れていて、尻上がりに調子を上げていった。個人的に木下理樹のファルセットがライブでは省略されがちだったことにモヤモヤしていたため、今回のライブで存分に披露されたことは非常に嬉しかった。いつものバンドサウンドだけでは気づけない、ART-SCHOOLというバンドの底力が垣間見えた、そんな二度はない貴重なライブだった。

 

 

冬の昼間

孤独感に溢れ求愛に満ちたART-SCHOOLサウンドには冬の景色がよく似合う。奇しくもこの日は初の積雪だった。シンシンと降り積もった後の冬化粧に思わず身を委ねたくなるこの気持ちは、ART-SCHOOLを聴いた感覚とよく似ている。

BUTTERFLY KISSを演奏する前に戸高氏は「ART-SCHOOLの曲には冬の昼間というイメージが付き纏う」と呟くように語った。その言葉に孕む柔らかな冷たさはART-SCHOOLに魅了された人が抱く普遍的なものなのではないか。少なくとも僕にとっては奥底に抱えた心象風景とひどく似通ったものだった。

 

子供の時分から○○な時に聴きたい曲という意味がいまいち分からなかった。笑っていても喜んでいても。泣いていても落ち込んでいても。後悔の念を抱いても怒りの感情を覚えても。瞬間的な感情に支配されるという時点で空虚さを見出だしてしまうのは僕の良くないところだと思う。だからこそ冬の、それも昼間という時間は確かに僕にとっての救いだった。

何をしなくとも何を思わずとも僕が僕のまま輪郭を失わずそこに存在しているという事実。吐く度に白く立ち昇る息には生きているという実感を。夜というそのまま終わっていく時間ではなく、あくまでもこれから始まっていく昼という時間がこんなにも冷たくいてくれることが嬉しくてたまらない。深夜のうちに遍くすべてに寄り添うように降り積もり、朝になれば太陽に焼かれ優しい光を放ちながら消えていく結晶達を眺めながら、彼らが世界を包み込んでくれたからこそ昨夜はあんなにもよく眠れたのだと気づき密かに感謝する。

そういえば前の職場でART-SCHOOLが好きだと何かの拍子で語った際に、「あーあの暗いバンドね」とさも周知の事実のように彼らを端的に評した同僚のことを思い出した。それは一面的なようで、その実本質を捉えていたのだろう。好みから外れていれば、いらないと判断すれば、即カテゴライズしてすっきり。その程度、決して聖人君子ではない僕だって平気でやっていることだ。「何を聴いてもおんなじに聴こえる」という言葉を少なくとも2回は言い放ってしまったことがある。僕が誰かに言われたら確実に傷つくであろう言葉を、なんら厭わずに。

誰かの価値観を蔑む行為の是非を問いたいわけじゃない。誰かの価値観の正否を問いたいわけでもない。大事なのは、そこに何も見出だせなかった誰かがいる一方で、宝石なような感情を僕自身が抱けた場合の向き合い方だ。

 

アコギは誤魔化せないのだと、戸高氏は語る。エレキは多少失敗しても勢いで弾いてしまえばどうにかなるが、アコギはその音の少なさ故にメロディーを失った途端に崩れてしまうのだと。今回のライブは全体的に原曲とは意図的に違ったアレンジを施していた。アコースティックアレンジであるということもそうだが、それ以前に元来ART-SCHOOLの楽曲はキーの高い曲が多く、今の木下理樹の声量的に原曲のままでは成立しないものが多いのだろう。それでもキーを幾分下げ、ピッチを変え、構成を変え、時に戸高氏自身もどのようなアレンジをしたのか忘れかけるほど工夫を重ねても尚、木下理樹の作った数々のメロディーは不思議なほどにその瑞々しさを失わない。最大でもギター2本だけの音色は本来のバンドサウンドとは比較にならないほどに弱々しく儚げだ。それでも目を閉じてこの美しく居心地の良い音色に耳を傾けながら、冬の昼間の景色を夢想する。心に灯る冷たくも温かな安心感とともに、これからも僕はずっとこの景色と共に生きていくのだろう。

 

SWAN DIVEの演奏後、戸高氏が「良い曲多いよね」としみじみと語ると「褒められて伸びる子なので褒めてあげるといいと思います」と意味ありげに視線を送ると、木下理樹は相も変わらずたどたどしく「…もっと褒めてください」と呟く。会場内にクスクスと笑いが漏れながらも、この日一番の祝福に彩られた拍手が鳴り響いた。

 

 

セットリスト

  1. TIMELESS TIME
  2. 1965
  3. リグレット
  4. それは愛じゃない
  5. 影待ち
  6. Love will found you, in the end
  7. BUTTERFLY KISS
  8. クロエ
  9. アパシーズ・ラスト・ナイト
  10. フローズンガール
  11. BOY MEETS GIRL
  12. LOVE / HATE
  13. SKIRT
  14. SWAN DIVE
  15. カノン
  16. ステートオブグレース
  17. しとやかな獣
  18. Bug
  19. 斜陽(EN)