Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

最近あなたの暮らしはどう 2021.9

カナリヤです。日常報告シリーズ。前回はこちら。

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今月も同人ゲーばかり遊んでました。一向に飽きる気配がありません。まるで覚えたての猿のよう(何を、とは申しませんが)。いちおう商業作品もひとつだけ例のめちゃくちゃ話題になったやつに手を出しはしましたが、アレだって同人ゲーの代表みたいなものですし。僕の現実は着々と同人ゲーに侵食されつつあるようです。うひぃ。

月姫 -A piece of blue glass moon-

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TYPE-MOONが2000年に発表した伝奇ビジュアルノベル。そのリメイク作品。かつて伝説の同人ゲームとして一世を風靡し2008年にリメイク版の製作が発表されてから早10ウン年。鍛え抜かれた型月信者であっても諦めかけていた本作が今年になって突如発売までこぎつけるとは一体誰が予想できたでしょう。

こちらのインタビューによれば発表当時は同人クオリティで妥協せざるを得ないことに忸怩たる思いがあったとのことです。商業作品として通用するクオリティを、ということで実際にCG・音楽・スクリプトは勿論のこと、TYPE-MOON作品には珍しく最初から音声付きだったことも今の時代に合わせたということなのでしょう。それらは確かに物語の没入感を非常に高めてくれるものでしたし、2011年に発表した「魔法使いの夜」での圧倒的な演出によって上がりまくった期待感に本作は見事に応えてくれたと思います。

ただ実際に喜び勇んでプレイした僕ではありましたが、元々月姫に抱いていたイメージを僕自身捨て切れなかったことが作品を十全に楽しむことができなかったことに繋がってしまいました。

同人版のような「人知れず,どこかで起きているかもしれない暗闘」は,もう時代じゃないと思ったんです。

これは先述の同人クオリティの話にも繋がるものなのでしょうが、月姫って地味な話なんですよね。直死の魔眼なんてその最たるものだと思うんですよ。でもその地味な要素が片隅で何かがひっそりと起こり、そしてまたひっそりと終わっていく「月姫」という作品に非常にマッチしていたと思うんです。商業作品として発表した「Fate/stay night」でお話の規模が大きくなったことに戸惑った自分がいました。いや何年前だよって話ですし、それ自体を批判するつもりは毛頭ありませんが、だからこそ「月姫」というものへのイメージは僕の中でますます固定化していったんだと思います。頑なだと言ってもいいかもしれません。なにせ僕にとっては初めてプレイしたノベルゲーなのです。そりゃあ何も思わないわけないんですよ。彼らが恥ずかしく思い雪辱を晴らすべく捨て去ったものは、何よりも僕自身が魅力的に思い魅了されたものだったんでしょう。ただそれだけの話です。

とはいえ本作が非常に出来の良いものではあるのは間違いありません。僕のこの懐古から来る感情はそれだけ原作が偉大なものだったという証左なのだと思います。本作はあくまで前編。作品として評価するのは続編が出てからでも遅くはありません。問題は果たしてそれがいつ出るのか、という一点なのです。

というわけで、きのこ、はよ。

 

死月妖花

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毎年四月に起こる不可思議な猟奇殺人事件に端を発した長編サイケデリックホラー。そして彼女たちの幸せな結末を見届けるお話。

今年、というかこれまで僕がプレイしたゲームのなかでも一番の意欲作、いや問題作?でございました。本作はご親切にもプレイ時間が表示されているのですが自分がオールクリア時に示された累計プレイ時間はなんと118時間。ぶっちぎりです。といってもこれは僕が本作を起動させたまま何時間もほったらかしにしていたことも関係していたのですが(それも何度も)、それを考慮してもなおただ読むという行為に特化したゲームにおいては過去最も時間をかけたと言っても過言ではありません。

本作の特徴としてはとにもかくにも「丁寧」「地道」「事実」を心掛けていることでしょうか。

まず膨大なテキスト量を誇りながらほぼ誤字脱字が見当たりません。僕が見逃していただけかもしれませんが少なくともプレイ中はまったく気がつきませんでした。たかが誤字。たかが脱字ではありますが、これによって没入感が削がれるという人は多いことでしょう。そうしたいわば内容外の要素での阻害要因を徹底して排する作者の作品に対する仕事ぶりは本当に素晴らしい。ただ、個人製作のフリーゲームでここまでするか?という疑問すら抱くほど、そのあまりの丁寧さにある種の異常性を見出だしてしまうのですよね。いやすごいことはすごいんですけど。

そしてルートの豊富さ。先述の膨大なテキスト量はこのことに起因しています。本作は真実に至るまでの過程がとにかく複雑なのです。事件の発端は何だったのか。それを防ぐにはどうすればいいのか。様々な視点・時系列・IFを交えながらユーザーに様々な物語を提示してはひとつひとつをしっかりと描写し解答を導きます。けれどその解答はまた新たな謎を呼び、時には棚上げされ、ユーザーは出口の見えない思考の迷路に放り出されることになります。果たしてこの複雑怪奇な事件に真実というものは存在するのか。うっかり魔が差してこの悪魔のような本作を始めてしまった(失礼)ユーザーは終わりの見えない絶望に打ちひしがれながらも、それでも読み進めることを止めはしないでしょう。それは作者がこのお話がフィクションではあっても可能な限り現実に起こりうるもので構成されているのだということを作中で事あるごとに明示しているからです。

「超常現象がそうと呼ばれる理由は現在において科学的な根拠を提示できていないだけ」

作中で自他共に認められる天才少女・五島絵里奈は学校の先輩である新村春花が事件の異常性・複雑さに音を上げて弱気な発言をした際に、このセリフを口にします。すべての現象には理由があり、それが意志ある誰かの起こしたことであるなら、そこには必ずそうしなければならなかった、もしくはそうすることでその誰かが得をする事情がある。本作でそのことを最も指し示しているのは「辞典」や「リファレンス」の存在でしょう。作中ではゲームの進行具合に応じて作中で登場した言葉や地名を補足・説明する辞典や登場人物たちが作成した資料や様々な人物たちによる本編外でのシーンを閲覧することで物語への理解を深めていくことになりますが、ここで示されるのはすべて「客観的で端的な事実」そのものです。そしてひとつひとつは薄っぺらい紙切れのようなものだとしても積み重ねればそれらは立派な一冊の本になります。「根拠」という揺るぎない本に。

「超常現象がそうと呼ばれる理由は現在において科学的な根拠を提示できていないだけ」

ある時点においておそらくユーザーは途方もない時間の末にその努力が報われる瞬間が訪れることでしょう。それはもしかしたら「なるほど!」と膝を叩くような明瞭なものではないのかもしれません。快感に打ち震える分かりやすいカタルシスには程遠いものかもしれません。いっそ小さく声をあげる程度のものでしかないのかもしれません。でもそれは確かに歓喜の瞬間のはず。丁寧に、地道に、事実をひたすら積み重ねた末に見る彼女たちの幸せの光景は、ようやく辿り着いたその安堵感はきっと他では味わえません。

 

腐った果実-Rotten Fruit-

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集落でその日暮らしの生活を続ける男が河川敷で白い少女と出会う、それだけの心暖まるお話。彼と彼女だけで構築された世界はシンプルであるが故に不必要なものが一切なく、その歪さ故にふたりの関係性はあまりに美しい。ふたりの行為に自然とエロティックさを感じ、陶酔し、それをまるで永遠のものであるかのように錯覚します。読後感の良さはそうした耽美さに起因しているのでしょう。真相を理解した後余韻に突き動かされるように再プレイしましたが、その世界観を壊さないよう描写に非常に気を使っていることがわかるのもいいですね。時間を置いてまた触れてみたいものです。

 

彼女系生命進化論パーフェクト☆ガール

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「どうせお前はヒロインを使い捨てる」という強烈な謳い文句が光る本作。只今絶賛プレイ中である「虚構英雄ジンガイア」の予習?として同作者による短編をやってみました。ノベルゲーマー、少なくとも選択肢という存在に慣れ親しみ、物語を無数に展開させることに違和感を覚えなくなった人であれば、多かれ少なかれなしかしらの感慨を抱くのではないでしょうか。ただ僕個人としては本作で示されるようなゲームに救いを求めるような人間ではなかったのか、終盤での人物描写をひどく冷静に見つめていたように思います。そういう人もいるだろう。でも僕はそうじゃないな。そういう人にはなれなかったな。

僕はきっと徹底して利己的な人間なんだろう。面白そうだという理由だけでしらみ潰しに選択肢を網羅していき主人公とともに物語を歩んでいく。そうして物語を消費していく。こうして刺さるお話を経てもなお次々と溜まっているものを消化していく。それを悪いことだとは思わない。楽しいという感情に蓋をすることはできない。けれど、自分は今容赦のないことをしているんだ、という自覚は抱いておきたいと思いました。

 

真昼の暗黒

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感想を一言で言うなら「気持ち悪い」これに尽きます。何の変哲もない団地で突如として起こった猟奇殺人事件を巡るサイコサスペンス。一見すると事件は単純な構図。行方不明の被害者は発見され、犯人はすぐさま明らかになります。単純な事件を理解するだけの必要な材料はきちんと提示され、それを鵜呑みにできさえすれば残された登場人物へのこれから。未来を憂い案ずることだってできるはずなのです。でも、できない。できやしない。そんな道理に合わないことはできっこない。誰かの描いた、誰かにとっての都合の良い物語であることを匂わせながら、ただ黙って唯々諾々とあからさまな真実を受け入れることなんて僕には。

僕は多分近いうちにもう一度このお話を手に取るでしょう。そしてこの気持ち悪さを払拭し自身の納得する汚らわしい真実を曝そうと躍起になるはずです。内から生まれた正義感でもなく、ただの下世話な好奇心故に。

ちなみに本作は某批評空間にて瀬戸口廉也氏の作風と雰囲気が似ているという感想がちらほらありましたが、あくまで雰囲気だけじゃないかなぁ?と思うのですよ。サイコパスな感じは確かにそうかも知れませんが、ひと昔前のPCを思わせる起動音やデスクトップに並ぶアイコンを選びゲームを開始する演出など、文章力ではなくあくまでもシステムによってこちらを引きずり込む、というか現実に踏み込んでくる感覚はどちらかというと深沢豊氏のものに近いのではないでしょうか。

 

 

とりあえずこんな感じでした。相変わらず同人ゲー三昧です。これでもまだ積んでるのが減らないんですよ。しばらくはこんな生活が続く気がします。とりあえずジンガイアを終わらせねば。これも厄介な作品ですよ。うひぃ。