Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

Illusion Is Mine その3

摩耗を実感している。

このブログでは何度か言及しているのだが、ここ最近になって音楽への可能性を強く感じるようになった。というより自分は音楽を楽しめる人間なのではないか、という感性が生まれてきたというべきか。人から薦められたり自分から飛び込んでみたり。ひどく楽しい。それもこれも既存の音楽的嗜好への「自分はこれが、これだけが好きなんだ」という絶対性をむやみに保ち続けることへの疑問とか。積もりに積もって溢れ出た、もしくは零れ出た結果、僕はこれまで聴いてすらこなかった音楽達に耳を傾けることになった。あくまでも自然発生的に。強制されたわけではなく自らの意志によって掴み取ったと知覚できるからこそ、一連のそれは、素晴らしい音楽体験となって瞬く間に僕の心を捉えた。

GHOST WORLD

おそらく以前の僕であれば単に"不協和音""雑音"と切り捨てていたはずの彼らは一度聴いた程度ではバラバラだったり聴き慣れない音によって構成されていたりするものの、ひとたび音楽として認識できさえすれば、明確に成立している作品群。すなわちハーモニーと呼べるもの達だった。美しかった。美しかったのだ。ノイズと言われかねない雑多な音達が連なり、空気を振るわせ適刺激となって感覚器を揺らす。そしてそれはあっという間に脳へとたどり着き、得も知れぬ快感を呼び起こす。どれもこれも、とまでは言わない。なかには"今の僕では"理解できないものもある。けれど出逢えた時の喜び・安堵感は筆舌に尽くしがたい何かがあったのだ。迷い込んだ森のなか、茂みを掻き分けながらようやく探し物を見つけ出したときのような。


Sturle Dagsland - Kusanagi (Official Video)

しかし僕はいま明確に疲弊している。音楽を聴くという行為を自然に行いたいのだという欲求に従っているはずなのに、その音楽によって僕は圧倒されてしまっている。

僕にはコンプレックスがある。それは幼い時分、多感だった頃において音楽を聴くという行為、その意味をなかば放棄していた過去があるということだ。周囲の人とちがう音楽を聴くことに歪んだ喜びを見出だし優越感に浸り音楽を歪めてしまった(それも世の音楽愛好家からすれば甚だ矮小で狭量な世界の話なのが救いがたい)。結果、当時の僕は音楽に価値を見出だせなくなり聴くことを止めてしまった。音楽がなくとも生活にはなんら支障はなかったからだ。その決して短くない期間は自身の音楽的嗜好の確立に致命的なまでの遅延を招いたのだと思う。亜正常、というやつだ。

好きだと感じられる、脳髄を震わす音楽の存在を享受する日々は価値ある日常だ。けれど僕の確立して間もない感覚はその圧倒的な情報量を受け止めるだけの容量が足りていないのではないか。この不可思議な疲労感は、無意識に発せられているアラートなのではないか。旧態依然とした既存の価値観に囚われない幾重にも張り巡らされ時に複雑化したレイヤーの集合体は途方もない快楽とともに大きな困惑をも僕に与えてしまっているのだろう。確かにストレスに感じてはいるのだ。僕は僕の好きな音楽を語るに足る言葉をいまだ持ち合わせていない。無秩序に音楽を享受する、いや搾取する行為はあまりにも表面をなぞるに留まってしまっている。そのことにどうしようもないもどかしさが募る。僕は何かを得たようでその実何も得てなどいないのではないか。

A Sermon

音楽を聴くことを止めるつもりはない。今の僕に音楽を受け止めるだけの価値がないということが明確になっただけで、当時のように音楽の価値が損なわれたわけではないからだ。けれど不安は尽きない。掴んだはずの感覚がいつの日かかき消えてしまいそうで。消えないコンプレックスはいつまでも僕を苛んでくる。


Alkisah 1