カナリヤです。本日はオルタナティヴ・ロックバンド「COALTAR OF THE DEEPERS」が2007年に発売したアルバム「Yukari Telepath」の雑感レビューをしてみんとす。アルバムのレビューは久々です。しかしこれ13年前かぁ…。
あと何の脈絡なく木下理樹に触れてますのでご注意を。
それでは始めていきます。
耳馴染みの良い音の集合体
Coaltar of the deepers -Deepless-
COALTAR OF THE DEEPERSに関してはこれまで「THE BREASTROKE」「THE BREASTROKE Ⅱ」とベスト盤しか聴いてないニワカなんですが、正直本作もベスト盤とかシングル集だと言われて聴いてもまったく違和感がありません。それくらい全編に渡って異常なほどポップな音圧で埋め尽くしてきます。スペースロックが一貫したアルバムテーマだとは思うんですが、そもそもが複合的なテーマにあってシューゲイザー、メタル、エレクトロニカ、ボサノバ、ジャズ等がごちゃまぜに襲ってくる中でどの要素を表層に出現させるかって感じ。こういうのってニッチなイメージがあるんですがそれを細部にまで気を配ってポップに仕上げてきてる時点でソングライティング能力が半端ないんじゃないかなと思います。三味線鳴ったとき「マジか」って口に出したぞおい。
個人的にはM-9「Lemurian Seed」以降がたまりません。この浮遊感あるドリームポップにM-10「AOA」のオルタナロックとテクノの合わせ技だったりM-11「Yukari Telepath」の電子音楽による怒涛の反響音で容赦なく殺しに来ます。かと思いきやM-14「Ribbon no kishi」のアイドルポップ感でのけ反らせてくる始末。思わず笑ってしまいましたよ。誇張なく延々に聴いていられるし浸れてしまえるのがニクい。そしてアルバムの最後を飾るM-15「Deepless」のスタイリッシュなキャッチーさを集大成としてそのまま大団円で終わるのかと思いきや曲の後半でだいぶ暑苦しくヤケクソ気味なシャウトをぶちこんできちゃうのがホント詰め込んでくるなーこの人たちはもう(呆れ)。
ボーカルの没個性はポップの源泉
ホント全然関係ない人の話で恐縮なんですが、ART-SCHOOLの木下理樹っているじゃないですか。ほらTwitterだと音楽関係者以外では自分を褒める人か女性にしかフォロー返さないあの人。いきなりTwitterで離婚発表してファンから「え、そもそも結婚してたの!?」って突っ込まれて慌ててツイ消ししたあの人です。
ART-SCHOOL Skirt スカート Live at AX Shibuya 2005
我らがポンコツ木下理樹のボーカリストとしての才能って心底カリスマ級だと思うんですよね、いや冗談ではなくマジで。あれだけ下手くそで声量もなく裏声がまともに出せない下手くそなくせに、あのかすれた悲痛な声を聴くだけで一気に世界が構築されてしまうんです。力無い人を、失った何かを、脆弱性を彷彿とさせるボーカリストって稀有だと思うんですよ。それが本人の努力では身に付けられないモノであるのなら尚更。曲から隔絶したイメージを想起させてもなおその曲を殺すことも、自身の声が損なわれることもないっていうのはもはや才能と呼ぶほかありません。時にキャッチーな曲調を展開することがあっても陰欝とした世界観を強烈に印象付けられるボーカリストもなかなかいないんじゃないかって本気で思ってます。100人に聴かせれば99人が石を投げ、たった一人が涙を流し喝采する。多分彼に魅了されてしまった人は似たようなことを一度は思うんじゃないでしょうか。キーが高いからカラオケで微妙に歌いにくいんだよ、大好きだよ。
Coaltar of the Deepers - Yukari Telepath
前置きが長くなりましたが何を言いたいのかというと、少なくとも僕の中でNARASAKI氏はそういう特定の人間にナイフのように刺さるエッジの効いたボーカリストという位置づけにはありません。決してカリスマ性を感じるでもなくフィーチャーされるに足る実力を持つボーカリストではないと思います。けれどだからといって魅力がないわけではないのです。むしろシューゲイザーだろうとメタルだろうとエレクトロニカだろうと、曲を損ねることなく寄り添うように歌い上げられるボーカルは大多数に受け入れられる普遍的な暖かみのあるものだと言えます。そのマイルドなボーカル性を持つが故にCOALTAR OF THE DEEPERSは激しい音圧を武器としながらも時にクスリと笑顔になれるような魅力ある楽曲を生み出し、ポップという根幹を突き詰められるのではないかと思うのです。
ポップすぎやしないか
Evil Line / Coaltar of the deepers
本作についてひとつだけ言わせてもらうなら、良い意味でも悪い意味でも息継ぎが非常に難しいアルバムだと感じてしまったことでしょうか。どの楽曲も聴きやすくシングルカットされてもおかしくない、ということはその分ホッと一息つける機会も少ないとも言えるからです。先述の通りM-9以降の流れを個人的に気に入ってるのはM-9、10、11、そしてボサノバテイストのM-12「Carnival」でじわじわと空気を暖めてからのメタルとテクノを融合させたスピード感満載のM-13「Evil line」への開放感がゾクゾクしてめちゃくちゃ大好きだからなんですよね。そういうアルバム的な聴き方が特に序盤に関してはなかなか難しいと感じてしまったが故の、まぁぶっちゃけいちゃもんですね。
ただあながち言い掛かりとも言えないんじゃないかなぁ、と思えてしまうのはM-1はまだしもアルバムの転換部分にM-8「Interlude」を据えてる時点で制作サイドもこの過剰なポップさを危惧してるのではないかと思うのですよ。ここで力抜いてくれよ的な。楽曲をひとつずつ切り取ってみるならばどれもこれも素晴らしくまさしく名盤だと言えるけども、全体を俯瞰して見たときにバランスが崩れてはいやしないか。ベスト盤である「THE BREASTROKE」「THE BREASTROKE Ⅱ」に本作の楽曲が収録されてないのは、これが彼らにとって第三のベストアルバム的立ち位置だからなのかもしれません。まぁ他のアルバムの構成をさっぱり確認してないので元から彼らはこういう感じだよと言われたら素直にごめんなさいなんですが。少なくともベスト盤から知った僕からすればもう少し違った彼らを見たいなと感じつつも、入門書のように楽しめたのは事実ですし、ファンの間で本作がどういう評価を受けているのかは多少気になるところです。
ポップの鬼「COTD」の行進は今なお続く
守備範囲の狭さには定評のある僕としては昨年から今年にかけて色んな音楽に触れてる実感が多少なりともあるわけですが、中でも特に気に入ってるのがシューゲイザーや電子音楽といったアプローチ。音が密集し時に無遠慮に、時に繊細にこちらを侵食してくる様に今のところ僕は飽きる気配すら見せません。そこにポップという軸でもって真正面から斬りかかってきた彼らは現在の僕の好みとの関連性もあってガチンとハマってくれたように思えます。本作は13年前に発表されたものですが、古さすら感じず色褪せることなくそこに佇んでくれていました。聞けば来年1月にも新譜と1stアルバムの再録盤の発売を控えてるんだとか。新譜と言ってもNANARASAKI氏のソロ作品という位置付けではあるものの他の作品同様こちらもチェックしていきたいところです。
「Yukari Telepath」収録曲
- Introduction of Zoei
- Zoei
- Wipeout
- Water Bird
- Hedorian Forever
- Aquarian Age
- Automation Structures
- Interlude
- Lemurian Seed
- AOA
- Yukari Telepath
- Carnival
- Evil Line
- Ribbon no kishi
- Deepless
タラリタッタリッタッタラタリタタスカム
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(気付けば口ずさんでいる)