Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

膨れ上がって破裂しそうなこんな気持ち。エロゲーマーなのにエロゲショップが苦手というお話。

友人にふとこの話をしたら「よく分からん」と一蹴されたこの何とも言えない感覚。うぅ。このもどかしい気持ちを晴らすべく男は黙って記事投稿。

エロゲに目覚めて早ウン年(控えめ)。新作のチェックや、少し旬の過ぎた良質な中古品を求めてエロゲショップへと通うことはこれまで幾度もあったけれど、未だにエロゲコーナーのあの独特の雰囲気には慣れない自分がいる。

例えばレンタルビデオショップを考えてみる。ふと童心を思い出しドラえもんを観たくなったとしよう。まぁクレしんでもなんでもいいんだけど。目的の棚に辿り着き、求めたタイトルを見つけ、カゴに入れる。
さてあとはレジで借りるだけ、と思った矢先、なんとはなしに目に入ったアダルトコーナーにふらーっと立ち寄ってしまった。男だからね。
そして例の、18という数字に赤々とした円と斜線が施されたマークがさも自分が試されているかのような思いに駆られてしまう、無骨ながらも見る度に僕の中の男の部分が揺さぶられるあの黒い暖簾をあっさりとくぐれば、あんなに恋しかったドラえもんのび太の冒険活劇のことなどキレイさっぱり頭から消え去り、今晩のお勤めを効率的にこなすためひたすらにおかずを物色する、一匹の雄がそこには在った。こうなってしまったら僕はもはや犬だ。我慢できないとばかりにだらしなくよだれを垂らし息を荒くする、瞳孔が開き、パッケージの一語一句だって見逃さない、より良い雌とのランデヴー(仮想)を追い求める単なる犬になるんだ。
 
なぜこうも簡単に意識を変えられるのか。変わってしまうのか。数分前の空を自由に飛びたいな、と願った僕の純粋性はどこへ行ってしまったのか。それは暖簾をくぐった瞬間に、自分の中で無意識にスイッチの切り替えをしているからなんだろう。もっと単純に言うなら先程とは異なる目的意識が新たに、そして明確に生まれるからだ。視覚に。触覚に。聴覚に。あの暖簾をくぐるという行為はそれだけで人間が無視できない感覚領域に易々と足を踏み込んで来る。
その侵略行為はけして不愉快なものではない。あからさまに高揚を給してくれているからだ。「ここからあなたの冒険の旅が始まるのよ!」のワクワク感はどんなときでも常に一定。常にMAX。そう、いくつになっても僕たちは大好きなのだ。ドラえもんから禁断介護へ、クレしんから寝取られ種付けプレスされていたへと面舵いっぱいヨーソロー!しているからなのだ。そう考えると割と似ているじゃないか。さあいざ行かん!
そして吟味に吟味を重ねて眠れる財宝を見事捜し当て、団員たち(脳内会議でポツポツと生まれた意思決定を担った小さな僕たち)と互いの健闘を労いながらも意気揚々と例の暖簾をくぐり抜ければそこはもう忘れかけていたいつもの日常だ。ケツだけ星人でゲラゲラ笑いたいものだ、と考えていた自分の純粋性よ、おかえり。
手元のカゴにはドラえもんクレしんと数分前までにはなかった交わる体液、濃密セックスとしょう太くんのHなイタズラ。しかしその混沌具合に違和感なんてものはない。いやそもそも違和感なんてもの抱きようがないのだ。そこにあるのはスイッチを入れる前、スイッチを入れた後、そして入れたスイッチを切った後と3つの自分の意識から生まれた結晶なのだ。便利。違和感、というか抵抗を覚える瞬間はお姉さんがレジ担当だったときくらいのものだが、まぁそれはなるべくケースを裏返してスッと目を背け続けることで対処できてる。できてるつもり。吶喊!
 
本題。上記のようにレンタルビデオショップで大抵発生しているこの「スイッチの切り替え」だが、これをエロゲショップで行おうとするとなかなかどうして難しい。なぜならドラえもんクレしんのようなエロが最優先ではないお話を求めようが、潜入捜査官やお、お義母さん、うちの女房よりいいよのようなまごうことなきエロを求めようが、それらは等しくあの黒い暖簾の先に共存してしまっているからだ。
スイッチを切り替えようにも左を向けば純愛を思わせるこそばゆいタイトル。右を向けば出張中妻一人だけになってしまうことを憂えて信頼する同僚に妻を頼んだものの二人きりなのをいいことにその同僚は押しの弱い妻に強引に迫り行為に及んだ挙げ句心変わりした妻から捨てられる、みたいなもうこういうサブタイトル慣れてきた的タイトルが同じ棚に陳列されてるなんて状況ではスイッチの切り替えなど容易にできるはずもない。そもそも無意識下で行われていた行為をその瞬間にできるわけがない。冒険どころじゃない。この中に裏切り者がいる・・・。
普段僕はいわゆる純愛路線エロゲのプレイがほとんどでエロゲで抜くってこと自体あまりないんだけど、気分を高揚させる目的でプレイすることもある。だからエロがまったくいらないわけじゃない。スイッチの切り替えをする暇なくアレな感じのが急に飛び込んで来るのが妙に引っ掛かるのだ。吟味する意欲が削がれるほどには。
もちろん逆も有り得る。エロを求めるという崇高な目的が純愛チックなパッケージが飛び込んでくるとそれだけでなぜかこちらがいたたまれない気分にさせられ、敵前逃亡なんてしょっちゅうなのだ。
 
ふと思ったのだが、僕はジャンルというものに、その響きに絶対性とでもいうべき神聖さでも見出だしているのだろうか。必要以上に。聖域たるその場所その空気はほんの少しの異物感で呆気なく瓦解してしまう。格式張ったというか、堅苦しいというか、こうあってくれ!という理想の押し付けは徐々に僕の中で大きくなってしまっている気がする。小さなキズのようなものが広がっていく様を打開する、いや許容する術をいまだ見出だせていない。最近は通販に頼ることも格段に増えてもなお求めずにはいられない、しかしそのたびに発生するその揺らぎが憎々しい、そんな場所なのだ。僕にとってのエロゲショップってところは。