Nothing is difficult to those who have the will.

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

遅ればせながらようやっと、ART-SCHOOL 4thアルバム「Flora」のレビューを書いてみる。

カナリヤです。本日はART-SCHOOLの4枚目のフルアルバム「Flora」のレビューを書いてみます。発売は2007年。…結構最近じゃないですかね?(錯乱)

冬のような冷たく痛々しいサウンドで当時のダウナー人間共に共感でもって受け入れられた2ndフルアルバム「LOVE/HATE」から4年。初期メンバー脱退後のアルバム制作もこれで2作目。新体制も板に付いてきた彼らの描いた新しい「光」の世界とは。

それでは始めていきます。

 

各曲の感想

1. Beautiful Monster


のっけからびっくりしました。過去アルバムのトップは1stアルバム「REQUIEM FOR INNOCENCE」では「Boy meets Girl」の挨拶代わりのダウナーな疾走感サウンド。2nd「LOVE/HATE」ではゴリッゴリのグランジ曲「水の中のナイフ」。3rd「PARADISE LOST」では打って変わって「Walts」でのリバースギターの不意打ちメロウ。そして今作の4th「Flora」はそれらオルタナテイストとは異なるキラキラしたド直球な爽やかさで開幕とは。明るいベースラインにミュートっぽいギターの不思議なポップさは木下らしくなくて新鮮。まぁ好みは分かれるとは思いますが。

歌詞。「白鳥になれそうな気がするんだ」という前向きな姿勢を見せるも直後に嘯いたり、錠剤を噛み砕いたりするので本質的にはいつもの木下理樹かと思われます。明るめに「I can see the new sunset」と歌っていますが、日の出(=sunrise)ではなく日没っていうところがらしいなって。

 

2.テュペロ・ハニー


シンプルなカッティングギターがやたらと爽やかなシングル曲。ふんだんに用いられたシンセサイザーの音色が更にキャッチーさを強調し、ニューウェーブっぽいポップソングに仕上がっています。ギターソロが挿入されるのもなかなか珍しいですね。開幕からサビに入ったりヴァース→サビの間髪入れなさ加減も、サビをサビとも思わない、地続きになってる感覚にすんなり耳が馴染むのがなんとも不思議。

歌詞。開幕でいきなり木下理樹お馴染みのフレーズである「falling down」がお目見え。希望は掴めず、次々に喪失していく。その情景がさも日常に溶けてしまっている様相がメロディの可愛らしさに繋がっていることこそが、木下理樹人間性における非常に根深い部分のように思います。上述のメロディのなめらかさやグルーヴ感はそうした日常描写とリンクしているのかもしれません。

余談。初めて聴いたとき開幕の「falling down」をリッキー滑舌悪いからfall in love」って聴き間違えてたんですよね。「やだ、リッキー純粋…」ってちょっと戸惑ったんですが、後日歌詞を確かめてなんかホッとしてしまった自分がいました。

 

3.Nowhere land


軽快なシンセとファンクギターが全編において響き渡る今作のファンク曲。戸高氏が加入して以降、新機軸として打ち出されたファンク曲は3rdアルバム「PARADISE LOST」収録の「クロエ」「PERFECT KISS」にて作品内のフックになっていますが今作でもM‐1、M‐2のキラキラしたポップソングの流れそのままに、遊び心と清涼感のあるメロディが非常に楽しい気分にさせてくれます。

同時期のファンク曲には8thシングルで今作のM-2「テュペロ・ハニー」に収録された「その指で」もなかなかどうして素晴らしい出来栄え。アートのファンク曲の中でも屈指の完成度を持ち、ファン人気も高い楽曲ではありますが、あちらのやたら艶かしいエロチックな世界観は今作には似つかわしくない、という判断だったのでしょうか。

歌詞。男はロマン、とでも言いたげな夢見がちなふわーっとした内容。「I wanna take you nowhere land」どこにもない世界に君を連れて行きたいんだ。この一文だけならば逃避のようにも思えますが、全体を通じてみるとけしてそれだけではなくて、どことなく前向きな、幸福を求めるようなニュアンスを感じられます。

 

4.影待ち

街の喧騒のSE。そしてリバーブするミュートギター。浮遊感を伴うふわふわとしたシンセの美しい音色が印象的なミドルテンポ。水を揺蕩うような表現、本当に好きだね木下理樹は。僕も好きだよ。イントロの停滞するようなメロディラインからのサビの発露はアートのお家芸といったところでしょうか。サビに付随するファルセットも哀愁漂う感じでたまりません。

個人的には、すぐフェードアウトしてしまうアウトロがもったいない。トーンが変わるギターリフをもう少し聴いていたかった。喪失感、という狙いはバッチリなのが憎い。

ひたすらに君の影だけを見ていた。心の空白は埋まることなく、雨のような感傷はいつまでも記憶の隅にこびりつく。

 

5.アダージョ

子供たちの楽しそうに遊ぶ声にキラキラした耳に劈くギターが被さる。音の激しさは暴力的ではありますが、大きな光に祝福されているような、抱擁されているようなイメージを想起させて、ゆったりとした曲調も合わさっての平和的な雰囲気は長閑かそのもの。合間合間に鳴り響く楽器はバンジョーでしょうか?この存在が曲全体の穏やかさに一役買っています。

歌詞。渾身の祈りの曲。「絶え間ないこの痛みは やがて海に溶けて 新しい生命へと」という壮大な歌詞がイントロの昂然たる響きに直結しています。その直後に「それはお伽話 都合のいい話さ」と嘯いていますが、それでも今はこう思いたいと。「どんな痛みも むしろそのままでいい」という痛みや苦しみを肯定する方向性にシフトしていることを伺えます。

 

6.Close your eyes

バーブする鍵盤の音の響きがフラットな日常の風景を醸し出す。これまで暖かさを想起させてきたキラキラ感がこの楽曲ではどことなく冷たい雰囲気を孕んでいるのが面白いですね。ただこの曲がアルバム中で地味な印象に終始しているのは鍵盤の音の代わり映えのなさとサビの「イエー」がどうにもバカっぽく聴こえてしまうこと。そしてなによりも3回目のサビがなく間奏だと思ってたのがその実アウトロだったことで印象が薄くなってしまったのかなぁと。

光を避けるように 生きてきたけど 光はいつもそばで 照らしていたよ

この空白は この傷跡は 埋まらないけど 光はいつも照らしていた

哀しい歌が 哀しい音が 生まれる時も 光はそばで照らしていたんだ

歌詞。過去「光」に対して否定的なスタンスを崩さなかった木下理樹が「光」へのあからさまな肯定を表現しているのがなかなかに衝撃的。

 

7.LUNA


酩酊状態を思わせるスローテンポな楽曲。月の浮かぶ浅い海に身体を預けて、そのまま意識と一緒に溶けていくような、いや落ちていくような。なんとも神秘的な雰囲気がたまりません。カットアップを用いているわけでもないのにその時その時に思いついたような情けない吐露がより支離滅裂さを強調しています。まぁ完全にダメ男ってだけなんですが、これぞ木下理樹って感じ。

 

8.Mary Barker


メアリー・バーカー=児童文学作家のシシリー・メアリー・バーカーでしょうか。「背中に隠したメアリーの羽根が舞う」というフレーズからも、多分そうだと思います。

戸高氏作詞作曲。カッティングギターの織りなす、カントリー調のリズミカルなミドルテンポは気怠げな戸高氏の歌声と合わさって非常にメルヘンチック。まさに(と言いつつよく知りませんが)メアリー・バーカーよろしく、花の妖精が出てきそうな穏やかな世界観が良し。木下理樹には描けない、今作での良いアクセントになっています。

歌詞。曲調そのままの抽象的なあどけなさ。木下理樹の詞は男女の機微を中心にやたらと生々しさが目立つため、気構えず、心の疲弊を気にすることなくこの優しい歌に身を委ねられます。

 

9.SWAN DIVE

木下理樹ソロ時代の同名曲のリメイク版。もともと原曲は立ち位置のあやふやな、現実感の伴わない夢遊病のような陶酔感をウリとしていますが、それに比べて今作のリメイク版はサウンドプロデューサー益子氏の恩恵か、音がよりクリアになり瑞々しい感性を伴っているのがとても印象的。原曲からアルペジオが追加され、2つの跳ねるようなアルペジオのレイヤーが軸となって美しい旋律を奏でることで耽美な世界観を明瞭に描きます。明確なサビがなく、終始繰り返される単調なメロディではありますが2つのアルペジオ=交じり合う男女を意味するのなら、過去2人であることに溺れていたという事実の大きさ、世界がそれだけで完結していた、その侵食の深さといった意味合いを孕んでいるようで、そうしたことを考えながらリピートし続けると、この心地良くも終わりの見えない堕落さにどうにかなってしまいそう。

ボーカル。原曲では木下理樹の幼く可愛らしい歌声(通称ショタリッキー)が現実感の乏しい曖昧なサウンドに溶け合っていて非常に魅力的。しかしアレンジ版では年齢を重ねて少し低くなった木下理樹の歌声が淡く美しい情景の中で輪郭を失わず、それが異物であるかのように確かに在り続けています。まるで夢と理解しながらも美しい回想に浸り続けるみたいに。その対比が柔らかく、そして空恐ろしい。

神様 もしも僕らが ぶっ壊れたアイロンならば

柔らかな指先で 愛の印をなぞった

スワンダイブのメロディが 僕の胸に蘇る

歌詞。耽美な詞のなかで「ぶっ壊れた」の部分が幼さの発露みたいで無性に好き。この曲は当時10代の木下理樹の体験談とは思えない(ライブDVDで妄想ってはっきり言ってましたけどね)ので、あくまでも「お伽話」に過ぎないと考えるのが妥当なところでしょう。そういう意味では、例えばNUMBER GIRLの「IGGY POP FUNCLUB」のような曲とは——同様に実在するバンドの名を冠しているとはいえ——テーマ性が異なるわけですが、10年を経てアレンジされた「お伽話」が上述のように真に迫った説得力を持ってリアルを犯していくことに、ゾクゾクした興奮を覚えます。

 

10.SAD SONG

今作では唯一の疾走感(ダウナー寄り)ナンバー。この緊張感漂うメロディのシンプルさがなんとも初期アートっぽい。前曲の柔らかいアルペジオがこの曲では突き放すような印象に終始してるのがギャップを感じられて良いですね。

歌詞。「曖昧に笑うのはなぜ?」からの「「苦しんだ分だけ強くなる」 そうじゃねえ 弱くなったんだ」の展開が「もう少しで28になる」というフレーズからの大人になっていくことへの漠然とした不安感が徐々に形を成していく心情にリンクしています。

よくインタビューで頻出する「僕の中のイノセントな部分は既に失われてしまった」というフレーズはこういうところにかかっているのかなと。

 

11.Piano

アートと言えばギター、というくらい各曲で印象的なギターサウンドが独特の存在感を示していますが、そこにシンプルながら切なさを誘うピアノの旋律とそれに同期する無機質ギター、更に木下理樹の揺れ動くファルセットが混ざり合うことで、センチメンタルな感覚に富んだ美しい楽曲に仕上がっています。美しいのに切ない、ではなく、切ないのに美しい。これは従来の木下理樹にはなかったもののような気がします。サウンドプロデューサー益子氏の手腕の賜物ではないでしょうか。

 

12.IN THE BLUE


轟音。それ以外の言葉を重ねることが不要に思えます。

縦横無尽に駆け巡る静動絶え間ないシンセサイザー。タイトなドラムプレイのゾクゾクする感覚。一瞬の静寂の後にそれらの音が一つになってどこまでも広がっていく。ボーカルも時折エコーがかった処理をすることで隔離されることなく音の激流としっかりと溶け合っています。「I miss the girl」というたったそれだけのフレーズを、その存在感をありありと際立たせる、木下理樹シューゲイザーはこれほどまでに圧倒的な音圧なのか。この陶酔感は何だ。

美しさ、優しさ、受容性、力強さ、儚さ、切なさ、暴力性、不条理。この「」というありふれたイメージはおそらくは木下理樹にとって最も身近で最も得意とする表現の一つですが、レコーディングの際、益子氏が散々口にしていたという「力強い生命力のある感じを出したい」という言葉がそのイメージとこうして結実したのかと思うと興奮が止まりません。こういう表現はあまり好きではないのですが、名曲という言葉はこの曲のためにある。ライブver.を是非生で聴きたかった。…なぜ僕はその場にいなかったのか。

歌詞。歌唱していない歌詞っていう意味が、ちょっとよくわからないですね…。

 

13.THIS IS YOUR MUSIC

前曲のシューゲイザー要素を引き継いでの、フィードバックノイズから始まるポップサウンドへの回帰がここにきて。点滅するライトのような目まぐるしいシンセのきらめきと、疾走するギターとの親和性はお見事。アルバムテーマに直結させようとするかのようなメロディの居直りさ加減が素晴らしい。

歌詞。達観した心情をどストレートにぶつけてくる開き直りの極致とも言える内容。

穴が開いた身体抱いて 何処までも行けるような

腐りきったオレのままで 何処までも飛べるような

このフレーズを「パッパッパラパー」というバカっぽいファルセットとともに歌い切るからこその、なんの衒いもない純粋な気持ちからの吐露であることを伺わせます。

 

14.光と身体 album mix


7thシングル「フリージア」収録のカップリング。これまでの楽曲で散りばめられた救いの種がこの曲で一気に収穫の時を迎えたような、今作のエンディングを飾るに相応しい壮大さと美しさが同居する曲。

イントロのスライドギターのしなやかさに目を見開き、ヴァースのピンとした開放弦の一瞬の静寂で一気に引き込ませる。そしてブリッジでのシンセサイザーの神々しい響音を伴って軽快なギターリフのトーンの変化とともにサビの圧倒的な昇華に繋がっていく。この一連の流れは、もう、ほんと、すごい(思考停止)。ラストサビ前の静かな間奏も荘厳な存在感を放つサビを上手く引き立てていて非常によく似合っています。

上述の通りこの曲は新曲ではなく既に発表済ではありますが、今作におけるアルバムミックスでの変更点がそのまま楽曲の新たな魅力になっている点が見逃せません。イントロ時、原曲では後方でゆったりと鳴っていたスライドギターを前面に押し出し、ブリッジでは新たにシンセサイザーの崇高な演出を追加。また原曲に比べて全体的に重厚さが増していて、より濃密なサウンドに仕上がっているのが何よりの妙味。これまたサウンドプロデューサー益子氏の手柄か。

空には青 君には孤独と痛みを

歌詞。空には青空が広がるように、人は生きていれば孤独と痛みを感じずにはいられません。それはもはやどうやったって切り捨てられるものじゃない。自己嫌悪、周囲との軋轢、誰よりも嘘が上手くなる、大人になること。「君」と言いつつ、そこには自身を含んでいるのでしょう。

」というのは木下理樹の分かりやすい「届かないもの」の象徴です。以前の楽曲において木下理樹は常に「光」への嫌悪ではなく忌避でもない本能的な不安を口にしてきました。でもそれはなにも木下理樹だけじゃない。僕らだって「光」を容易に手にすることはできません。少し手を伸ばせば届いてしまうものを「光」とは呼ばないでしょう?"Eureka!"とは叫びやしないでしょう?捕まえられればきっと幸福になれるそれに手を伸ばし続けて、やがてその手は重力に逆らいきれずにいずれゆっくりと下ろしてしまう。だから、そうなってしまう前に、

手を繋いで 手を繋いで ねえ いようぜ

孤独や痛みに耐えきれず下を向いたとしても、その温もりさえあれば、きっと僕らは大丈夫。互いに弱さを預けて、その繋がりにほんの少しの救いを求めればいい。木下理樹の逃れようのない弱さの許容とそれに抗おうとする強さとを垣間見る。2ndアルバムを経てのこの心情の変化は2ndに衝撃を受けた人間により一層の衝撃と感慨深さを感じ取れる素晴らしいエンドロールだと思います。

余談。上述の通りこの曲はあくまでカップリングでありながらアルバムに収録され、かたや正真正銘シングルである「フリージア」があえなく落選してしまったのはどちらも同様のテーマ性を帯びているからでしょうか。今作は前半でピースをばら撒きM‐9からの美しい流れで一気に回収する、いわば2部構成となっている影響で「光と身体」のエンディング感がやたら際立ってしまっています。そこにほぼ同じことを言っている「フリージア」を収録してしまったら両者の存在感が希薄になってしまう。それを危惧したがゆえの、かつエンディングに据えたときにおさまりが良いのはどちらか。制作サイドの思惑はこんな感じだったのではないでしょうか。

 

15.low heaven


M-9に続いて今作2曲目となる戸高氏作詞作曲。前曲をエンドロールだとするならば、こちらはいわばエンドクレジット。

季節は春。ノイズ混じりの古いラジオ。ロッキングチェアに腰掛けながら、やがて訪れる心地良いまどろみに身を委ねる。全体的に抑揚のないメロディに自然とそんな情景を思い起こします。前曲の美しい余韻を残しつつ、粘り気のある戸高氏の穏やかな歌声と幻想的な雰囲気がこの「Flora」という美しい世界観にいつまでも留まっていたい、そんな欲求とリンクしてしまいます。

So asleep for loneliness

I sleep to the sunrise

孤独のあまり眠るんだ

僕は日の出に眠るんだ

sunrise(=日の出)という歌詞がM-1の歌詞にかかっているように思えてなりません。木下理樹にとっての救いがsunset(=日没)であるのなら、それが訪れるまで、僕らにとっての救いの象徴がやってくるまで、もう一度目を瞑ろう。みたいな。

戸高氏は共同制作者でありながらその実一番のリスナーでもあるのではないでしょうか。愛すべきポンコツである木下理樹が大好きでしょうがないのです。この微睡みのような優しく穏やかな歌はきっと「皆さん、今回の木下理樹は楽しめましたか?夢から覚めてしまうその前に、もう少しだけ浸っていきませんか?」という、そんな共感めいたメッセージなんだろうなぁ、なんて考えてみる。

 

 

アルバムの意味を考察し、木下理樹に思いを馳せる。

これまで発表してきた作品までの殺伐とした雰囲気は鳴りを潜めて、シンセサイザーをこれでもかと取り入れたキラキラしたポップテイストの目立つ楽曲を多く含んだ今作。春を予感させる暖かな空気感を醸し出すサウンドの豊かさはまさしく「花と豊穣と春の女神」である「Flora」の名に相応しい。そんなサウンド面の豊潤さに引きずられるように木下理樹の描く詞世界も以前に比べてひときわ前向きな姿勢が見て取れます。

白鳥になれそうな ただそんな気がするんだ

(M‐1 Beautiful Monster)

それでも今 手を繋いで

(M‐2 テュペロ・ハニー)

だけど今夜一つだけ 見せたかった場所があった

(M‐3 Nowhere land)

絶え間ないこの痛みは やがて海に溶けて 新しい生命へと

どんな痛みも むしろそのままでいい

(M‐5 アダージョ

光はそばで照らしていたんだ

(M‐6 Close your eyes)

穴が開いた身体抱いて 何処までも行けるような

腐りきったオレのままで何処までも飛べるような

(M‐13 THIS IS YOUR MUSIC)

空には青 君には孤独と痛みを

あの光は今遠ざかって ねえ 行くから

手を繋いで 手を繋いでいよう

手を繋いで 手を繋いで ねえ いようぜ

(M‐14 光と身体 album mix)

前向き、とはいうものの木下理樹の本質は拭いきれないその陰鬱さにあります。今作のインタビューで「僕は何も変わってない。明るいものはどうやったって書けない」と語った通り、彼の描く世界にはたとえ喜びを描いていても痛みと苦しみが常に内在しています。このキラキラと開けたサウンドを以ってしても、詞世界に少なからず影響を与えていても、です。それはすなわちこれが木下理樹の描く精一杯の幸福の在り方であり、現実味のある地に足をつけた、こうありたい理想なのだろうと改めて思うのです。

付属のブックレットの表紙(CDジャケットに当たる部分)にはチョウの標本が描かれていますが、冊子を1枚めくるとそこにはおびただしい数の蜂が何かに群がっている様が映し出されています。おそらくこれは「アゲハチョウ」とその蛹に寄生し、内部を食い尽くしやがて羽化する寄生蜂「アゲハヒメバチ」をモチーフとしているのだと思います。

アゲハチョウの見目麗しさと、その裏で残酷に行われる生き汚い生存競争のチグハグさ。美しく飛翔する姿ではなくあくまで標本としたものをジャケットに採用したのも木下理樹の皮肉なのでしょう。そこに彼の描く心象世界への深い親近性が重なります。

Ah この哀しみが いつか消えてしまわぬよう

Ah いつも祈るんだ 幸せな振りはしない

Ah 春の陽だまりに 堕ちた鳥に見とれてた

Ah 誰かのためなんて そんな風に生きれない

今作には収録されていませんが、テーマを同じくする7thシングル「フリージア」でも、こうありたいという願いが痛々しくも切実に、そしてだからこそ心からの吐露なのだろうと思える、不器用な開き直りを僕はどうしても否定できません。誰よりも幸せになりたいはずなのに、美しい世界に憧れているはずなのに、そんな風に美しく在ることはできない。理想とは言い難い現実を受け入れて、その夢の無さこそが自身にとっての理想なんだと受け入れる。そんなめんどくささの極致みたいなリッキーを、僕はこれからも追いかけていきたいと思います。

 

<<参考文献>>

MARQUEE Vol.59

ART-SCHOOL インタビュー/音楽情報サイト:hotexpress