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Nothing is difficult to those who have the will

エロゲとオルタナ。そんな感じ。ちょこちょこと書き綴っていこうと思います。

今更ながら、Rococoworks「Volume7」に思いを馳せてみる

箱庭的世界観を描かせればエロゲ界広しといえど右に出るものなし、の原画・笛氏、シナリオ・J-MENT氏の黄金コンビによる群像劇ADV「Volume7」先日プレイ終了いたしました。

エロゲ―ブランドTarteから発売された名作「カタハネ」と同一スタッフにより設立されたゲームブランドRococoworksの第1作目と銘打たれた本作は、それ相応の期待を背負って制作されたにも関わらず全体的な評価は低調に終わり「期待はずれ」の烙印を押されてしまいました。

その理由はただひたすらまでの「惜しさ」という言葉に尽きるのですが、その「惜しい」部分、目を見張る部分、そして納得のいかない部分を僕なりに挙げていきたいと思います。

 

※以下はネタバレ、前半はまぁ微バレ。ですが後半はモロ出しです。ご容赦のほど。

 

 

 

 

 

あらすじと率直な感想

舞台は近未来。未来予測により多くの人が幸せを享受できるようになった時代。世界各地で起こったスフィア化現象は見えない壁によって人・モノの行き来ができない状態に陥らせ、さらにその内側(ドームという)の環境は百年以上前まで時間が戻ってしまう。それにより外世界(アウターヘヴン)内世界(インナードーム)の異なる二つの世界観が作中には混在することに。本作は様々な人・組織の思惑や陰謀が渦巻く中でそれぞれの幸せを掴もうとするお話です。

 

流れとしては、3つの章から構成されています。

導入部である「外世界編」。

各組織の思惑が見え隠れしつつも3組のカップリングを中心に描く「内世界編」。

そして真相が明らかになる「真世界編」。

 

まず率直な感想を言うのであれば、「リメイク願います」これに尽きます。

本作は設定の豊富さ、というものが非常に顕著です。スフィア化現象未来予測、登場人物たちの各々所有する因子仮想現実による箱庭空間の形成など、僕自身SFをさほど得意とはしていないものの、そうした魅力的な言葉を並べていくだけで構成される物語の壮大さに魅力を覚えていくのは否定できません。

けれどその魅力を本作が上手いこと消化できたのかというと残念ながらそうでもありません。本来であれば「内世界編」にて効果的に張り巡らせた伏線を「真世界編」で一気に回収すべきところ、「内世界編」では尺のほとんどがそれぞれのカップル成立までを描写するに留まってしまいました。「真世界編」ではその裏で何が行われていたのか、背景、各組織の思惑などザッピングを駆使して説明はしてくれるのですが、「内世界編」において説明してもいいのでは?と思えるような事柄さえも「真世界編」に盛り込んでしまったためか、どうにも駆け足感というものは拭えず、急展開を迎える流れも重なり、僕自身物語に上手く没入できない状態に陥りました。

結局多くの謎を残したままエンディングに至ったわけですが、この壮大な設定をすべて消化するためにはおそらくウン十時間という大作レベルのプレイ時間を要するはずです。が、実際のそれはわずか20時間程度。ライターの実力が、というよりもそもそも根本的に企画段階での練り直しが必要不可欠だった、そんな風に思えます。

 

 

「内世界編」ルートの雑感

本作が低評価たらしめているのは先に述べた理由からですが、だからと言って各ルート、特に「内世界編」が語るに値しないかというとそんなことはありません。また一部のルートは僕にとって愛憎入り乱れる複雑な心境を獲得するに至る、なんとも思い出深いものになりました。

 

十丸・梗香編

共通ルートでの主視点かつ物語の起点となるルートだからでしょうか、「内世界編」でも様々な人物との関係や作中の世界観——組織の説明や現状、そこに至る経緯など——を味わえる、素直に最初はこれをやっておこう的ルート。ちなみに僕は最後にやりました(おかげで最初はちんぷんかんぷんでした)。

梗香は情報通信局(TLS)の学生リポーターとして、十丸は内世界調査局(ユピテル所属の調査員の傍ら梗香付きのカメラマンとして百年前に時間が戻ってしまった世界をゆるりと巡っていきます。二人の子供っぽさに最初こそやきもきしてしまいましたが、鈍感で女の子の尻に敷かれがちな十丸と、生来の真面目さゆえかどんどん相手に突っかかっていきドジを踏む梗香とのやり取りは原画・笛氏の柔らかで線の細いタッチも相まって見ていて非常に微笑ましく映ります。「幼さ」を素晴らしいものと思わせてくれる両氏が大好き。

本作では主人公格ともいえる二人で、ルート終盤の安穏とした日常が崩れていく様は先の展開を期待できてとても興奮できます。ただ崩壊の予兆と崩壊に至るまでのスパンが非常に短く、それに伴ったであろう不安や恐怖、絶望といった描写は感じる暇もなくあっという間に終わってしまうのが残念。練り込み不足の本作の問題点を凝縮しているかのようで、それが結果的に彼らの主人公としての物足りなさに繋がってしまっている気がします。

 

龍護・琴良編

訓練中、同僚に怪我を負わせてしまったことで自分には誰かを守る資格などないと自らを卑下する治安管理局(ウェヌス所属の青年・龍護は内世界の少女・琴良と心を通わせます。共に生活をしていくうちに明確な好意を抱きますが、琴良はそれを突っぱねます。

それは彼女が「性別不定因子」を持っていることが原因でした。文字通り自身の性別が曖昧になってしまうもので、スフィアが発生したことによりその因子が暴走し結果的に彼女は男性の身体を有することになります。そんな自分が受け入れられるはずがないと事情を打ち明けて彼を遠ざけます。

けれど彼はそれでもいいと彼女を受け入れます。どんな姿であろうと彼女は彼女で、好きになった人が苦しんでいるのであれば自分が支えてあげたいと。土砂降りの雨の中、彼は思いのたけを告白します

なぜなら最初に受け入れてくれたのは彼女の方だからです。出会いの時、龍護は琴良を助けます。家のベランダから落ちた彼女を目の前にいた彼が救ったのです。 それは偶然だったかもしれません。たまたまそこにいたのが彼だっただけで、伸ばした腕が運良く彼女に届いただけ。けれど誰かを守ることに自信が持てないのであれば、彼女を助けることができた事実こそを自信としてほしい。そういって彼女は彼を受け入れたのです。

それぞれの気持ちに差がないことを互いに理解できた二人は一つの傘に身を寄せ合いながら帰路につきます。

 

「雨」という表現方法があります。

例えば、恋人から一方的に別れを告げられたとき。

例えば、順調だった会社の業績が悪化し窮地に立たされたとき。

例えば、親しい人物の死に立ち会ったとき。

雲は希望の象徴である太陽を覆い隠し、降りしきる雨粒は涙のようにも映ります。昔からフィクションにおいて、その登場人物たちがいかに絶望的な状況にあることを分かりやすく描写するために「雨」というものはその役割を担ってきました。

また映画「ショーシャンクの空に」では全く逆の希望を描写しています。主人公アンディが刑務所から脱獄直後、両手を広げ、空を見上げながら降りしきる雨を全身で受け止める姿はあまりにも有名です。逃亡の末に汚れきった身体を雨により洗い流し、自らが得た自由を実感する重要なシーン。刑務所内で「フィガロの結婚」を流した時とは違う。束の間ではない、‟本物の”自由を彼はようやく得ます。

このように場面転換としては非常に使いやすい小道具と言える「雨」ですが、このルートでの使い方、僕は非常に好きなんです。

彼らの関係性は普通に考えたら困難な道のりです。誰の理解も得られないかもしれない。後ろ指をさされることになるかもしれない。だけど降りしきる雨は彼らの前途が絶望に覆われていることを意味しているのではありません。絶望の中、二人でいられることこそが希望に違いないのだと、この美しい情景はそれを指し示しています。

どんなに頑張っても、ふたりの身体は……はみ出てしまう。

でも、もうこれ以上はないぐらい濡れたふたりだから。

……今後、多少の雨では動じることなく歩いていけると思う。

一番好きなルート、そして二人です。「受け入れる」というありきたりなテーマを軸に据えたこのルートは、ありきたりであるはずの描写が構成の美しさを際立たせています。

 

八代・さくら編

自然主義団体(マルスに所属する売れない絵描き・八代は1年前に絵のモデルになることを依頼して以降行方が分からなくなった少女・さくらを、街頭テレビに映った内世界の映像で偶然発見。彼女と会うべく違法な手段を用いて内世界に潜り込み、間もなく邂逅するも彼女は八代のことを全く覚えてはいませんでした。再びモデルを依頼しようとさくらと交流していく八代は、次第にこの世界の違和感に気が付いていきます。

このルートの非常に残念な部分は、目的のためなら手段を選ばない八代の行動指針が「さくらの絵を描く」ということにのみ縛られてしまったことです。彼の行動の積極さは物語をひっかきまわすには十分な素養があったはずなのですが、それを阻害したのは他でもないヒロインであるさくらの存在です。

登場人物に「ノーテンキ」と称されるさくらはその天真爛漫さから周囲を振り回していくのですが、全く話が進展しないどころか意味のない会話が続いていくことで話の流れが止まってしまいます。「大人」である八代が「子ども」であるさくらに対し建設的な会話を試みるも意思疎通がうまく取れず、そのうち無理難題を押し付けられたりしていく模様は観ていてテンポの悪さを感じざるを得ません。

おそらくはこのルートで八代にさまざまな行動を取らせることで多くのピースを散りばめようとしていたはずですが、さくらを中心としたドタバタを繰り返した挙句に伏線は箱の中にしまい込んだままお話が終わり、そのツケを「新世界編」で払わされてしまいました。本作を期待はずれせしめた戦犯、それはこのルートの構成の下手さなのではないでしょうか。

 

龍護・琴良編における個人的不満

先に書いた感想では、互いを受け入れる関係性に非常に満足したわけですが、どうしても許せないことが一点だけあります。それはなぜ二人のHシーンが琴良を女性の身体に戻したうえで行われてしまったのかということです。

相手を許容することを言葉でいうのは簡単です。「私はあなたを受け入れます」と登場人物に言わせればいいのです。そして簡単なことだからこそ、その行為に説得力を持たせることが物語上必要不可欠なのですが、ことエロゲにおいては非常に容易な手段があります。それがセックスです。エロゲにおける「エロ」を冠しているということを最大限に発揮することで相手を受け入れたことを実践的に表現できる非常に効果的な手段と言えます。決してないがしろにしていいものではないんです。

 

理解を示そうとするのであれば、設定上琴良が女性の姿に戻ることは、当然の流れだったのかもしれません。龍護は「安定因子」という他者の因子を抑制する因子を持っています。それが琴良の「性別不定因子」を安定させたからこそ「普通の男女」としてのHシーンを描けた、ということなのかもしれません。ですがここで重要視すべきことは龍護が琴良を「受け入れた」ことを言葉以外の表現で描写することであり、琴良を女性の姿に戻してしまえばそれは単なる男女のセックスを描いたにすぎません。

またエロゲとはいえ特殊な性癖を表現することは当然ながらあまり好まれはしません。そういったことを前情報なしで描写することは、少なからずユーザーの反感を買ってしまうリスクがあります。表面上だけ見れば男同士が睦みあっている様はまさしくそれに該当しますし開発側が表現を躊躇するに足る十分な理由と言えますが、少なくともこの作品においては唐突な百合展開を用意している時点でそうした点を配慮したという可能性は消失しています。

僕はBLだろうと百合だろうと面白ければ、そして物語上必要ならば楽しんで読める人間です(もちろん一番は男女のHシーンですが)。だからこそあるべき描写、とまでは言いませんが、あってほしい描写の有無は物語の完成度を左右する重要な要素だと思うのです。

 

まとめ

点数的には75点。ここまで散々こき下ろしておきながらそこそこの点数に収まっているのは、このゲームを500円で入手していること。プレイ前に全体的な評価を前もって仕入れていること。そしてなにより発売当初ではなくそれなりの時間が過ぎたことで感情的要素を取っ払い「評価すべき点」をひとつでも見つけようと思えたことに尽きます。

多少の不満はあれど、黄金コンビの紡ぐ雰囲気の良さはやはりトップクラス。そして風景に溶け込むような登場人物たちのやり取りはまさに世界観を味わっているという表現がぴったり。


Volume7 - デモムービー

「楽しかった」エンドロールが流れたときに素直にそう思えた僕は、やっぱりこのコンビが好きなんだなぁと思えました。よし、次はairy[F]airyだ!